経験という名のデモン

政治学は経験科学である。これは古代ギリシアの時代、アリストテレスの頃から言われていることで、本を読み、頭の中で論理的に考え出すことよりも先に、現実の政治をつぶさに観察しなければならないということである。

学者にも二つのタイプがある。書斎派と路上派である。書斎派は文字通り、そこに閉じこもって学識を深めるのに対し、路上派はそこに行き交う人々に取材して知見を得る。どちらが優れているという訳ではない。しかし、最後に断片的な情報を総合するのは、その人自身の経験である。南原繁は「政治学に先生はない。……おのがデモンに聞け1」と言った。経験とはデーモンのように、善悪をないまぜにした、言葉にしがたい、欲望、希望のようなものだろう。ソクラテスを引いて、魂と言い換えてもいいかもしれないけれど、やはり、それとは本質的に違うような気がする。

本書の主人公は南原繁である。私は最近、集中的に彼の書いたものを読んでいる。そして、並行して伝記的事実を調べていると、『おのがデモンに聞け』に逢着した。本書は戦前、戦後に生きた5人の政治学者の評伝として読めるし、また、日本政治学の研究書としても読める。著者の都築勉さんは、現代の政治学者としては異色で、文体スタイルにおいても楽しませてくれる。丸山眞男の薫陶を受けて、政治学を志した人だから当然かもしれない。

読後、現代の政治学者が忘失したもの、政治学に失われたものを思わざるをえなかった。それは南原繁に即せば、理想、と言えるかもしれない。


  1. 都築勉『おのがデモンに聞け』(吉田書店、2021年)343頁。

WikiWiki

Wikipedia南原繁の項目を編集(訂正)した。

ja.wikipedia.org

訂正箇所は南原が学生時代に所属していたキリスト教団体 白雨会に関する記述で、写真のキャプションが「前列中央は内村鑑三、南原は前列左」と書かれていたのを、「南原は前列右」と訂正した。最初見たとき違和感を感じて「この人、誰だ?」と思ったが、写真は正しく、文章が間違っていたのだ。私の直観は正しかった訳だ。なお、訂正にあたって参照したのは、加藤節『南原繁:近代日本と知識人』(岩波書店岩波新書、1997年)47頁。

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白雨会送別会(1917年)、前列中央は内村鑑三、南原は前列右

Wikipedia南原繁のページ自体も、略年譜のみで、伝記としてまとまった記述がないので、今後、南原繁の研究を進めるにつれて、私自身が書き直そうと思う。すでにアカウントを取得しているので、あとはMediaWikiの記法を習得すれば気軽に編集できる。寄付で運営されているWikipediaに寄稿しても、原稿料は出ないけれど、ブログ以外にインターネット上で活動する場を見つけて少し愉しみを覚えた。

variable Identity

27日夜、大学時代の政治学の恩師・浪岡新太郎先生と池袋で再会した。当時のゼミ生と、年収はいくらだの、恋愛しているか、結婚する見込みはあるかなど、しばし通俗的な話題に終始したあと、ふと、会話中に「アイデンティティ」という言葉が飛び出した。先生はハイボールで喉を湿らせると言った。

アイデンティティは大事だよ。僕もつねに自分が何者なのか考えている」

たとえば、開高健は著書の中で、自身のことを次のように定義している。

  • 小説家
  • 作家
  • 記者
  • ライター
  • ドキュメンタリスト
  • 釣師

芥川賞を受賞し、日本文学に不滅の軌跡を遺した作家でも、このように自己の認識、定義が揺れ動くのである。しかし、彼は本業はあくまでも小説家だと思っていたが、戦争、釣りなどに取材して、ルポルタージュを書くときは、自身の職業を記者と見なしていた。両者の職業に貴賤はないけれど、虚構(Fiction)にもとづいて書く小説家を虚業、事実(Fact)にもとづいて書く記者を実業と考えていたふしがある。

さて、それでは私は何者なのだろうか。文士(Writer, Journalist, Documentalist, Bookman)の才能があると思うが、これが本当にものになるのだろうか、今後の努力次第である。畢竟、私は編集者(Editor)ではなくて、作家(Author, Writer)になりたいのだろう。しかし、一方、大学、大学院で、政治学(Politics)を勉強していたので、私は政治学者(Politician1)なのではないか、という自負がある。少年の頃に抱いた、政治(Politics)の道に進みたい、政治家(Politician)になりたい、という希望は今も生きているのである。高校時代の恩師は私のことを、面白半分に「インチキ政治家」と呼んだ。そこに一抹の真理がある。


  1. 普通、現代の政治学者の訳語はPolitical scientistだが、この用例は近代の社会科学の要件に従っている。一方、『斎藤和英大辞典』のように政治学者の訳語にPoliticianを当てる場合がある。現代では普通、政治家と訳されるが、最良の政治学者は最良の政治家である、と見なすプラトンの伝統に従っていると思われる。Economistを経済人、経済学者と訳す感覚に近い。

病中の天職

内村鑑三について論じるには、私はまだ勉強が足りない。彼の無教会主義は信条的、学問的に反発を覚えるが、この立場を理解し、克服するに至っていない。文士ジャーナリストとしての彼の生き方を尊敬するが、その文体は冗長で、著者自身の意図せざる美文である(福沢諭吉の方が遥かに簡潔で読みやすい)。しかし、それでも寸鉄のように心に突き刺さる一文がある。

汝神を有すまた何をか要せん。

不治の病怖るるに足らず、回復の望なお存するあり、これに耐ゆるなぐさめと快楽あり、生命いのちに勝る宝と希望のぞみとを汝の有するあり、また病中の天職あるあり、汝は絶望すべきにあらざるなり1


  1. 内村鑑三『基督信徒のなぐさめ』岩波書店岩波文庫、1939年、101頁。強調は筆者による。

修道士の業

昨夜は体調が上向いてきたので、京成小岩のBar Upstairsに飲みに行った。

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初めにジントニックで喉を湿らしたあと、ギムレット、オールドファッションなどのジンベースウイスキーベースのカクテルで血中アルコール濃度を上げていく。

〆はシャルトリューズ ヴェール。この銘柄はフランスの同名の修道院によって蒸留されており、「リキュールの女王」と呼ばれている。

修道士が酒を製造、販売するなんて、不道徳かと思われるかもしれないが、この売り上げは同院の貴重な資金源なのだろう。それに宗派によって異なるが、キリスト教は飲酒を禁止していない。むしろ、酒は人の罪を清めて、神に立ち返るための神聖な飲物である。ゆえに、私はこの宗教が好きなのだ。

6時間くらい眠っただろうか。今月中頃まで抗精神病薬による不眠が続いていたが、この頃ようやくまとまった睡眠を取れるようになった。体が薬に慣れたのだろう。それとも、シャルトリューズ、修道士の業のお蔭だろうか。

起きがけにパソコンの電源を点けると、デスクトップのUI(User Interface)が大きく変わっていた。前回のWindowsの更新プログラムの取得の際に、Windows 11に勝手にアップグレードされていたのだ。戸惑いつつ、各種設定をしていると、Windows 10の複雑怪奇なシステムがシンプルに改良されていることに気づく。百聞は一見にしかず、Windows 11は前作よりも完成されたOSだった。そのファイルマネージャー(Explorer)の角は取れ、優しく、丸くなっていた。

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Windows Explorer

ビル・ゲイツの息子

パソコンを買い換えた。

今まで使っていた機体はモニターのノイズが激しくて(原因はおそらく接触不良)、たとえばZoomでミーティングの最中、モニターの仰角を変えると、青い閃光が明滅し、視るに堪えない。このままでは仕事に支障が出ることが予想されたので、この際、思い切ってパソコンを新調した。

それがこれ。

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mouse C4

再びマウスコンピューターである。mouse C4という機種である。同社のPCは、BTOメーカーにありがちな、キーボードなどの作りがちゃちな印象があったが、余計な機能が付いていない、シンプルな仕様なので、今回もリピートした。CPU:Celeron、メモリ:8GB、SSD:256GBの構成は、今日の目で見れば、標準というよりも貧弱かもしれないが、私のパソコンの用途の9割以上はテキストエディタで文字を打つだけなので、特に問題はない。OSはWindows 10。11にアップグレートできるが、これは駄作と聞いているので、10のまま走り続けるつもりだ。途中、Linuxをインストールするのも楽しい。ちなみにWSL(Windows Subsystem for Linux)はUbuntuではなく、Debianを選択した。

世間では、老いも若きも、猫も杓子もスマートフォンばかりいじっているが、私は個人の才能を開発する点で、パーソナル・コンピューターを深く愛している。その意味で、私はプログラミングはほとんどできないが、ビル・ゲイツの精神的息子、Geekなのだろう。

理論と人間

政治学などの社会科学の理論は客観的に、価値中立的に構成されるのではない。そこには観測者の階級などの社会的属性や、宗教などの価値判断が色濃く投影されている。社会学者のカール・マンハイムはこのように、社会科学の認識の存在拘束性を指摘したが、経済学も例外ではない。本書『ケインズハイエクか』は、経済学者の人柄と経済学の理論がいかに結び付いていたかを示す事例に満ちている。

ケインズはハンサムではなく、彼自身も自分を魅力的だとは思っていなかったが、堂々たる体躯で存在感があった。身長は198cm、少し猫背なのは図体の大きな生徒だったころについた癖だった。イートン校を卒業するとすぐに、彼はたっぷりの口ひげをたくわえた。もっとも人目を引いたのは、深くくぼんだ、温かい、吸い込まれそうな栗色の目で、内面の注意力を物語っていた。男性も女性も彼の虜になった。その滑らかな声は彼の魅力に惑わされない人々すら惹きつけた1

優れた評伝は、ある人物の人となりを伝えるだけではない。その人の思想、理論、創作の秘密を解明する。

このころケインズの頭を占めるようになったのは、1920年代初めの英国を悩ませ続けた高失業率の問題だった。彼の原動力になったのは仕事のない人々への同情と、多数の失業者の発生を不可欠とみなしているかのような経済運営に対する憤りだった2

このような個人的な感情(義憤、と言うべきか)が、政府が市場利子率を操作し、公共投資で需要を、減税で消費を刺激して、完全雇用を実現する『雇用・利子および貨幣の一般理論』に結実することになった。また、彼の大蔵省で働いた経験、つねに体制側、社会の支配階級——権威オーソリティに属した事実は、経済を大局的に把握する、マクロ経済学を創始した。戦後、先進諸国が低成長、財政赤字に苦しみ、ケインズ主義が批判に曝されても、彼の仕事は忘れ去られることはなかった。LSE(London School of Economics)の代表的な論客として、ケインズを批判したハイエクも、彼の『一般理論』に衝撃を受けた。

しかし、何の反応も示されることはなく、ハイエクは沈黙したままだった。彼はケインズの渾身の力を目の当たりにして驚愕していた。何週間たっても、期待されたハイエクの猛烈な反論は出てくる気配がなかった。彼の人生は無に帰したかのようだった3

ケインズマクロ経済学は、戦後、西側先進諸国の政策決定者の理論的支柱として見なされた。ポール・サミュエルソンは言った。「私達は皆、ケインズ主義者だ」。しかし、保守党のマーガレット・サッチャーに見いだされるまで、ケインズの影に隠れて、無理解、無関心の荒野を歩み通したハイエクの言葉には凄みがある。

「われわれに欠けているのは自由を尊ぶユートピアであり、それはたんなる現状維持でも、希薄化された社会主義でもなく、真に自由を尊重する急進主義とみなすべき計画である。真の自由主義者社会主義者の成功から学ぶべき最大の教訓は次のことである。彼らが識者の支持を勝ち取り、それによって世論も動かせたのは、彼らが勇気をもってユートピアの住民になろうとしたからだ4


  1. ニコラス・ワプショット(久保恵美子/訳)『ケインズハイエクか』新潮社、2012年、20頁。

  2. ニコラス・ワプショット、前掲書、47頁。

  3. ニコラス・ワプショット、前掲書、178頁。

  4. ニコラス・ワプショット、前掲書、331頁。ハイエクの言葉。