政治学などの社会科学の理論は客観的に、価値中立的に構成されるのではない。そこには観測者の階級などの社会的属性や、宗教などの価値判断が色濃く投影されている。社会学者のカール・マンハイムはこのように、社会科学の認識の存在拘束性を指摘したが、経済学も例外ではない。本書『ケインズか ハイエクか』は、経済学者の人柄と経済学の理論がいかに結び付いていたかを示す事例に満ちている。
ケインズはハンサムではなく、彼自身も自分を魅力的だとは思っていなかったが、堂々たる体躯で存在感があった。身長は198cm、少し猫背なのは図体の大きな生徒だったころについた癖だった。イートン校を卒業するとすぐに、彼はたっぷりの口ひげをたくわえた。もっとも人目を引いたのは、深くくぼんだ、温かい、吸い込まれそうな栗色の目で、内面の注意力を物語っていた。男性も女性も彼の虜になった。その滑らかな声は彼の魅力に惑わされない人々すら惹きつけた1。
優れた評伝は、ある人物の人となりを伝えるだけではない。その人の思想、理論、創作の秘密を解明する。
このころケインズの頭を占めるようになったのは、1920年代初めの英国を悩ませ続けた高失業率の問題だった。彼の原動力になったのは仕事のない人々への同情と、多数の失業者の発生を不可欠とみなしているかのような経済運営に対する憤りだった2。
このような個人的な感情(義憤、と言うべきか)が、政府が市場利子率を操作し、公共投資で需要を、減税で消費を刺激して、完全雇用を実現する『雇用・利子および貨幣の一般理論』に結実することになった。また、彼の大蔵省で働いた経験、つねに体制側、社会の支配階級——
しかし、何の反応も示されることはなく、ハイエクは沈黙したままだった。彼はケインズの渾身の力を目の当たりにして驚愕していた。何週間たっても、期待されたハイエクの猛烈な反論は出てくる気配がなかった。彼の人生は無に帰したかのようだった3。
ケインズのマクロ経済学は、戦後、西側先進諸国の政策決定者の理論的支柱として見なされた。ポール・サミュエルソンは言った。「私達は皆、ケインズ主義者だ」。しかし、保守党のマーガレット・サッチャーに見いだされるまで、ケインズの影に隠れて、無理解、無関心の荒野を歩み通したハイエクの言葉には凄みがある。
「われわれに欠けているのは自由を尊ぶユートピアであり、それはたんなる現状維持でも、希薄化された社会主義でもなく、真に自由を尊重する急進主義とみなすべき計画である。真の自由主義者が社会主義者の成功から学ぶべき最大の教訓は次のことである。彼らが識者の支持を勝ち取り、それによって世論も動かせたのは、彼らが勇気をもってユートピアの住民になろうとしたからだ4」