モノクロの夢

経済的な理由から、今の職場で週5日で働くのは私の希望だが、先方(会社)の方は常勤(総合職)を提示してきている。有難い話だが、さすがにそれは後退というべきだろう。常勤になれば住宅手当もボーナスも貰えるが、読んで字のごとく、すべての時間帯で働く、要するに夜勤をしなければならない。夜勤をすると、私の場合、持病の躁鬱病が昂じて不眠が悪化するし、夜勤明けは休みとはいえ、休日が丸一日つぶれてしまう。否応なしに生活が会社一辺倒になるのは目に見えている。経済かねと引き換えに、わざわざ不幸ふしあわせになるようなものだが、それは私らしいやり方だろうか? 明らかに後退というべきである。幸福しあわせを分かっているのに、わざわざそれを手放すのは愚かなことだ。

経済的に足りない部分は週1日の訪問介護で補填すればいいし、なにより大事なことは、働く時は働く、学ぶ時は学ぶ、遊ぶ時は遊ぶ、と生活にメリハリをつけることである。夜勤を除く週5日の勤務はそれに適っていると思われる。本業と副業がアベコベになっていると言わざるをえないが、私はライターとして地道に読み書きすればいい。臆せずに言えば、私は現場のケアワーカーとしては結構有能で、需要がある限り、そこで働くのも悪くはない。ただし、今の仕事に不満を抱いているからには、ステップアップするための策は必ず打つこと。来年、ソーシャルワーカーの資格を取得するために通信制の大学/専門学校に通うが、これは侮らない方がいい。その間の学費と生活費を確保することはもちろん、相当、時間と労力を費やすだろう。

Reconguista in K

1年と半年前、私が職場を異動する時、同僚の還暦過ぎのおじいちゃんが言った。

「伊興1から文化人がいなくなる!」

文化人……今日では杳として聞かれなくなった言葉だ。戦後、市民的/民主的知識人を「進歩的文化人」と称したが、私がそのカテゴリーに該当するかは分からない。否、むしろ、客観的、主観的にも拒否するだろう。私の読書の傾向として「新もの食いはしない」ことが挙げられるし、そのために私は古典ばかり読んでいる。単純に不勉強なのかもしれないが、三十路も半ばを過ぎると、新しい物を追うことに疲れた。嵐山光三郎に倣って「退歩的文化人」と言いたいくらいだ。でも、内心では、南原繁、矢内原忠雄のように「キリスト教文化人」と呼ばれると嬉しい。

それはともかく、私が介護をしてよかったことは、資格を得て、肉体的、精神的に逞しくなったことが挙げられるが、実はこの間、生活は崩壊している。アルコールを飲む量は出版社の頃とは比べものにならないし、それ以上に家の中が一気に汚くなったことだ。「この部屋を見ると、やっぱり、鬱とか精神的な闇を抱えてそうだよ」と、ある友人が言ったが、それは正鵠を得ていて、介護に従事していた3年間は躁鬱病が寛解すると同時に、その実在がますます明らかになった期間だった。生活が、性格が、薬によって左右された日々と言い換えることができるかもしれない。

——と、これまで思い出を連綿と書き綴ってきたが、単刀直入に言うと、部屋が一気に綺麗になった。これに至るまで私個人の力では到底及ばない、この頃仲良くなった或る人のおかげだが、その仕事ぶりは私の旧来の個人主義的人生観を揚棄させるのに十分だった。日本国憲法第25条は次のように定めている。

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

出版であれ、介護であれ、私が職業生活を通じて経験したことは、仕事に一所懸命になり過ぎると、生活は崩壊するということである。生活を犠牲にして仕事に邁進した私は、健康も文化も奪われた。今後の私の人生は失われた両者を回復することに賭けられている。

——全人的復権リハビリテーション領土復権レコンギスタ


  1. 私の勤務する特別養護老人ホームの所在地。足立区伊興のこと。

現場要請

昨日、訪問介護を一件終えたあと、携帯電話を見ると、兼務先の老人ホームから着信があった。折り返し掛け直すと、総務部の方が出て、現場の介護部の上司に繋いでくれた。

「休日なのに折り返し電話をくれてありがとう。シフトで相談したいことがあるんだ。兼子さんは今月はすべて日勤(9時~18時)だけど、20日以降、早番(7時~16時)と遅番(13時~22時)に対応してくれるかな? 異動したばかりだけど、もうぜんぜん動けるからさ。そうしてもらえると、ホント助かる」

私は二つ返事で快諾した。早番勤務と遅番勤務にはそれぞれ500円と1000円の手当が付くが、そんなのは実際どうでもよくて、新しい職場の上司に頼りにされているのが、私は素直に嬉しかった。人間の動機を金銭ないし利益に還元する行動科学は完全に間違っていると分かった瞬間だった。近世においては、主体的に動く、積極的に動くことが兎角善しとされているが、それだけで世間は通用しない。受け身になった時、受動的になった時、どう動くか、どのように呼応するかが、人間としての力量が試されているのではないか。ギリシア語の情熱パトスの語源は受苦だと聞いたことがある。苦しみを受け入れること。情熱が始まるのはそれからだ。

ショートスリーパー

最近は日付が変わる頃に寝て、3時か4時くらいに起きている。ショートスリーパーを気取っている訳ではない。原因は分かっている。抗精神病薬のアリピプラゾール(エビリファイ)の抗鬱作用が引き金になって、早朝覚醒を促しているのだ。例えば同じ抗精神病薬でも、以前処方されていたオランザピン(ジプレキサ)は鎮静作用、抗躁作用が強く、就寝前に飲むと、正午過ぎまで昏々と眠り続けることができる。精神疾患の治療において採るべきアプローチは大きく二つに分かれると思う。精神病理学と精神薬理学である。前者は患者の病気に対する向き合い方、生き方の問題を看るのに対し、後者は患者の薬物に対する反応を看る。精神病理学はカール・ヤスパースを祖とするので、現象学的アプローチと呼ばれ、実存哲学をかじったことのある私は、そちらに対して共感シンパシーを感じるのだが、現実の治療過程においては薬理学に負う所があまりにも大きい。さすがに私は薬学には不案内なのだが(その点、薬剤師の私の妹に及ばない)、薬、特に新薬が患者の人生を劇的に変えることは往々にして見られることだと思っている。アリピプラゾールを飲むことで、私の人生は変わった。オランザピンを飲んでいた頃の私は休眠モードに入っていたが、新薬のアリピプラゾールを飲み始めると、私の人生は急激に戦闘モードに移行した。この薬がなければ、老人ホームの常勤職を投げうち、個人事業主フリーランスのライターになることはなかっただろう。富野由悠季によると、かの手塚治虫は5時間にして寝過ぎの体になったらしいが、創作面はともかく、睡眠相に関して言えば、私も手塚先生とタイマンを張れるようになった訳だ。

サミュエル・ベケットの『モロイ』の一節を思い出す。「今は安らかに眠っているが、君にもやがて眠れない夜が来るだろう」

あれもこれも

東京未来大学福祉保育専門学校の精神保健福祉士課程のパンフレットが届いたので、パラパラめくっている。

オンデマンドではなく、対面の授業スクーリングが11日もある。まだ詳細は分からないが、苦学生でも通えるように土日を中心に授業を組んでいるらしい。基本的な姿勢スタンスとして、私は授業に限らず、オンラインよりも実際リアルに対面した方が圧倒的に好きだ。入ってくる情報量はもとより、その場に居合わせることにより感じられる雰囲気を、何よりも大事にしているからだ。誤解を怖れずに言えば、人と人が出会えば身体的接触もあるはずで、その際に生じる偶然の邂逅に私は一縷の望みを賭けている。ゆえに通信課程でも、実際に先生と学生に会えるスクーリングを楽しみにしているのだが、現在の私の労働条件だと、土日にコンスタントに休みを取るのは至難の業である。

私は特別養護老人ホームで非常勤で働いているが、同僚の主婦とは違って、土日の勤務に応じるように上司から求められているのはひしひしと感じる。1ヶ月に3日(公休2日、有給1日)、希望休を申請できるので、日曜日を休日にできないこともないが、少なくとも月に1回は教会の聖餐ミサに参加したいので、残りの1、2日で、専門学校の授業に通うことになる。——ぱっつんぱっつんである。

来年、短歌結社 塔に復帰しようとしていたが、これでは無理だと悟った。結社誌(同人誌)に詠草を送るくらいは沙汰ないが、私にとって結社に参加することは、実際リアルの歌会に参加することを意味するので、それが叶わなければ、しかるべき時期を待つだけである。そもそも山谷とキリスト教の研究だけでもこんなに苦戦しているのに、短歌の研究・実作と、精神医学の研究を同時にこなすのは難しいと思う。ようやく身の程を弁えたと言うべきか。——と言いたい所だが、私は文筆家ライターとして、文学と政治学を、特に後者においては政治と宗教の問題を中心に執筆したいので、これくらいで音を上げてはいけないのである。ちなみに政治と宗教の問題は、目下世間が自民党と統一教会の癒着の件で喧しくしているが、私は以前からキリスト者として、地の国(カエサルの国)と神の国(キリストの国)の関係について、要するに権力ちから恩寵あいをめぐる問題として考えているので、何を今更、という感じである。

夏の隠遁

当今の流行病はやりやまいは、私の仕事場所 山谷にも静かに、確かに拡がっているので、その間は炊き出しも取材もできない。この期に及ぶまで私は、新型コロナが私のライター活動を邪魔するとはゆめにも思わなかった。個人と社会のあらゆる障壁ボーダーを突破することが私のライターとしての使命だと考えていたのに。実はこの理想はまさしく開高健のもので、彼は特にルポルタージュを書く際にそのことを自覚していたのである。やはり、彼は偉大な作家だと感得させられる。今の私は彼の靴の紐を解く値打もない。

取材に行くことを制限されているので、この間、私は本を読むことにしている。今、もっとも精力的に読んでいるのは、ロバート・D・パットナム、デヴィッド・E・キャンベル『アメリカの恩寵:宗教はいかに社会を分かち、結びつけるのか』(柏書房、2019年)。社会資本ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)で有名な、パットナムの最新刊だが、本書ではその概念は使用していない。彼はアメリカというヨーロッパに比べて遥かに信心深く、それでいて寛容な個人と社会がいかに形成されてきたのかを明らかにする。パットナムの結論によると、現代のアメリカの若年層は、親の宗教/無宗教と無関係に、個人主義的に自身の信仰を選び取るらしい。しかも、その選好には明らかにその人の政治的志向が反映されているというのだ。——初めに政治ありき。本書は硬派な社会科学の研究書でありながら、時折、ルポルタージュもはさむことにより、物語の面白さも備えている。自身の思想/良心を再考させられる一冊である。

惜別

7月29日をもって、私は松戸の有料老人ホームの勤務1を終えた。8月2日からは伊興の特別養護老人ホーム2に勤務することになる。退職ではなく、異動である。後者は私が介護の「か」の字も分からない、新入職員の頃から勤めていた施設である。つまり、古巣に出戻りである。

松戸に来た当初、私は伊興の特養で一人前になったと思っていたが、それは傲慢な、おこがましい考えだった。私は松戸でかなり苦戦を強いられた。こだわりの強い、要求の強いお客様の対応に兢々としたし、なによりも、ひとつのフロアを一人で担当する、一人ワンオペ夜勤がきつかった。肉体的には負担が少なかったが、精神的には負荷が大きかった。夜中の丑三ツ時に食堂の床にひざ掛けを敷いて眠り、コールが鳴ったらその都度、対応することを続けていたら、私の中で何かがキレた。会社に出勤している以上、同僚でも上司でもいい、私の他の誰かに話しかけてほしかった。会社で働く理由は金だけではない。孤独は自宅で十分である。

閑話休題それはともかく、私は伊興の特養で2年間働き、松戸の有料で1年間働くことで、めでたく一人前の介護福祉士になったのだから、私は両者に感謝しなければならない。片方だけでは肉体的にも精神的にも持たなかったし、それぞれ違う業態で勤務することにより、介護の広さ、奥深さを知ることができたのだから。いずれにせよ、私の松戸の冒険は終わった。

衆知のとおり、私は酒徒であるが、その土地、その街を離れるとき、私は居酒屋でも酒場バーでもなく、ラーメン屋に向かう。そこで酒はいっさい口にしない。ひたすらラーメンをすすりながら、その土地、その街の人々を思い出しながら、来し方行く末に思いを馳せるのだ。松戸では武蔵屋を贔屓にしていたので、最後の出勤日はそこで夕食を済ませた。そこで私は常連として認められているらしく、店員が煮卵をサービスしてくれた。

かつて、私は極めて短い期間、板橋の赤塚に住んだことがあったが、そこを離れる時も、私はラーメン屋のカウンターに坐っていた。今では味はほとんど覚えていないが、私は一人ぽつねんと、無言でラーメンをすすっていたことを覚えている。

tabelog.com


  1. 以下、「有料」と記す。

  2. 以下、「特養」と記す。