科学から空想へ

今、私の居間兼寝室には、二人の酔漢が寝息をたてて眠っている。こう書くと、さまざまな方面で、心配されたり、呆れられたりするだろうが、私の実生活というのは案外単純なものである。会社に勤めたり、酒場で過ごしたり、下宿で友達と酒杯を片手に芸術論を戦わせたり、……その合間を縫って、私は文章を書く。その繰り返しである。

毎日ブログを書いていて、最初にぶつかる問題は、書くネタが尽きるということである。そのために私達は読書をしたり、取材に出かけたりすることで、実生活に刺激を与え、経験を豊かにすることで、この危機を乗り越えようと努力する。

しかし、この方法にも限界がある。文章テキストの内容を事実だけに拘泥していると、それはやがて尽きるのである。読書と取材によって、資料を増やしたとしても、それは有限に過ぎないのである。

先日、昔の会社の同僚と電話で話したが、君のブログはつまらない、と単刀直入に言われた。彼は言った。「もっと想像力を働かせて、ハッタリをかまさないと駄目だぜ」単語と単語、文節と文節を繋ぎ合わせるためには連想飛躍が必要である。そして、作品の主題は畢竟、想像力に基づくのである。私はまだ、幼児的素朴現実主義リアリズムの段階にとどまっていた。それだから文章が詰まらなくなる。ただの現実の引き写しに過ぎないからである。

事実は有限であるが、空想は無限である。と、言うのは簡単だが、実際には感覚と経験に多く依拠しているに相違ない。しかし、想像力の源泉は究めがたい所にある。それは神によって先験的アプリオリに与えられていると主張する人もいるが、私にはまだ分からない。けれども、精神の深遠については、書き続けていれば自ずと分かるのではないか。小説を書こう。

炬燵の資本論

居間に炬燵こたつを敷いた。およそ5年ぶりのことである。私が幼少の頃、私たち家族は、椅子と食卓テーブルで暮らしていた。80年代から90年代のことである。一方、居間には卓袱台ちゃぶだいらしきものがあり、そこに座布団を敷いていたが、食事の際はいつも、食卓と椅子で決まっていた。早朝、食卓に流れるラジオの調べとパンとコーヒーの匂い。今思うと、私達はけっこうハイカラな生活をしていたのだ。

0年代を過ぎると、私達は炬燵と座布団中心の生活を営み始める。そして、食事も決まってここで摂るようになった。それは一見、和風にして平凡な、庶民的な習慣ハビットだが、私はこれを下降と見る。それはあくまでも習慣ハビットに過ぎないのであって、生活様式ライフスタイルではないのだ。様式スタイルとは何か? それは或る規則に基づいた緊張に満ちた形姿である。以後、私達の生活は弛緩の一途を辿る。

自分の生活様式に自覚的になり始めたのは、当然、一人暮らしをし始めた時であって、私も初めは実家の習慣に従い、炬燵を用意した。その上に本とPCと珈琲を置き、当時、飲み始めた睡眠薬の効能でボンヤリした頭で、本当によく勉強した。当時読んだ、森有正『バビロンの流れのほとりにて』は忘れられない。「現実が夢に還ってくるというこの過程。パリは僕にこのことを教えてくれた」という一節は、今でも私の心に深く刻まれている。その後、炬燵の放射熱はPCに悪いということで、何か解決策を考えなければならなくなった。転職、引っ越しを機に、私は大塚家具で、文机ライティングデスクを購入した。これは今日に至る私の静かな相棒である。そこにPCを置き、私は読書と執筆に励んだ(当時は大して書けなかったが)。今思えば、炬燵は仕事には不向きだが、勉強には有用だという事実である。長く坐っていると、足がしびれるので執筆には向かないが、適宜体勢を変えながら、ゴロゴロ本を読むことができるので、意外に読書が捗るのである。私はかつてマルキストだったが、実家の炬燵に当たりながら、『資本論』を読んだものである。闘争と革命の書物を、ぬくぬく炬燵に当たりながら読むな、と言われるかもしれないが、当時そういう読み方も許されていたのだ。

本来、私の生活様式ライフスタイルに炬燵を置く余地はなかった。私にとって食卓は団欒の、文机は戦闘の、炬燵は怠惰の象徴である。親元を離れて、個人として生活を始めて以来、私は炬燵のある生活を否定し去ってきた。私が再び居間に炬燵を置いたのは妥協の結果である。しかし、晩秋の寒さに震えるこの頃、秋の夜長に気楽に大量の読書をしたことを思うと、炬燵も悪くないか、とにわかに思うようになった。私を日和見主義者、修正主義者と嗤ってくれてもいい。

TankaWriter

最近、短歌を詠んで(読んで)いない。

文章を書く量、アウトプットの総量は増大しているし、毎日、文語訳『聖書』を読んで、以前に比べて、古語に慣れているのに、それでも書けない(書かない)。

してみると、短歌が私にとって本当にふさわしい文芸なのか、考え直してみたい。人はいかにして歌人になるのだろうか?

オーソドックス歌人

小学生、中学生などの幼年期から親しんでいた、というタイプである。自分で短歌を選択したというよりは、すでに家庭に御歌が充溢しており、自然に短歌という文芸に親しんできた人である。そのほとんどが文化資本、経済資本の高い家庭で育っている。彼等は歌をハビトゥスとして実践している。生活(人生)に歌が存在するのは当たり前なので、歌を手放す、断念するという選択肢は考えられない。幼児洗礼を享けた、カトリック(オーソドックス)のごとき人である。

プロテスタント歌人

物心ついた頃に短歌を始めた人である。あえて自分で短歌という文芸を選択した人である。大学生、社会人に多い。もちろん、短歌という古くて新しい文芸に挑戦するくらいなのだから、もともとその人が育った家庭も、文化、文芸に満ち溢れているのだが、御歌が自然に遍在する訳ではない。むしろ、小説、論文など、散文が多い印象である。このような家庭に育った人は、短歌を始めるのは自明ではない。しかし、知的好奇心が旺盛な人が多いので、おのずと短歌を引き寄せるのである。私が歌を選び、歌が私を選んだ。再洗礼を享けた、プロテスタントのごとき人である。

私は確実に後者である。私の両親は短歌を読まなかったが、小説を読んでいたので、歌はなくとも物語は存在したのである。思えば、短歌結社での私のきまりの悪さは仕方ないことだった。私は詩歌の人、歌人ポエットではなく、文章の人、文人ライターだったのである。けれども、ときどき歌人タンカライターになるのもいいだろう。

今後、小説、評論などの散文を本業にして、短歌などの韻文はあくまで余技として、文士ライターの私は世界と切り結んでいきたい。

言葉の抽斗

中村真一郎は作家になりたいと公言したとき、彼の叔父は次のように助言した。「君が作家になりたければ、机の抽斗ひきだしいっぱいに原稿を書き溜めなければならない」

また、ある先輩作家は次のように話した。「君が作家デビューを果たす頃には、ミカン箱一個分の原稿の束がなければ駄目だぜ。そうじゃないと大量の注文に追いつかないからな」

ブログを毎日更新していると、それなりに或る工夫が必要になってくる。要するに若き作家と同じように、原稿を書き溜めなければならなくなる。律儀に毎日、日記のように書いていると、忙しい生活に追いつかなくなる。文筆外の人生の不測の事態に対応できないのである。災害のために食糧を備蓄しておく、というよりは、経済におけるキャッシュフローのようなイメージである。つまり、初めからある程度の余裕がなければならないのである。

私のブログはぜんぜん稼げないし(読者諸氏はすでにお察しのように、私はこのメディアで稼ぐことをすでに放棄している)、毎日更新を続けたとしても、いきおい文名が上がる訳でもない。

しかし、広告塔として、あるいは文章修業の場としては、はなはだ有用であり、私の筆力が向上するにつれて、読者が増えていることを、大変嬉しい心持で眺めている。これで収入が伴えば……と、忸怩たる思いはあるが、ブログは同人誌ないし個人誌のようなものだと覚悟しているので、この辺の事情は今はあまり気にしないようにしている。生産高が増えれば、おのずと解消される問題である。初めにことばありき。金は後に付いて来るべし。

2017年の冬、知己にしていた編集者は私に言った。「作家になりたければ、ブログを書け」そして、出版を離れて、介護に転身する私に次のようなはなむけの言葉を贈った。「それが、君のやりたい本当のことなんですか?」彼の助言はことごとく当たっていた訳だ。

社会の再生

18時に布団に入り、21時に布団から出る。仮眠としては少し寝すぎたくらいだ。近所の自動販売機でMONSTERを買い、ぐびりと一杯やる。昨今、エナジードリンクについてはいろいろと言われているが、起きがけの清涼飲料水はなかなかいいものだ。

昨夜、福音よきしらせがあったので、気持よく酒を嗜んでいたこともあり、なかなか眠れずにいた。しかし、こうして人間同士の紐帯が回復し、孤独な人々の生を支える社会が再生されることを、私は心底喜んでいる。たとえ、それがこの世の仮初の現象だとしても。睡眠時間は2時間。しかし、早番の勤務にも慣れたので、比較的気持よく働くことができた。ただし、帰りの電車で眠気に襲われる。

このようなことを書いていると、まるで、己が社会主義者のように思えてくるが、それは私の片方の本質に適っている。もう片方の本質は個人主義者である。どちらも正しく、時に相補い、時に矛盾を来たすことがある。しかし、キリスト教の課題が個人の自覚と社会の再生であると気づく時、これは己の一生のテーマであると理解することができる。小説ないし評論として表現することはできないだろうか。

本日の休憩室。「兼子さんは夜勤はやらないんですか?」「介護福祉士としての私は、棺桶に片足つっこんでいますから」黒い冗談ユーモア

今、編集の仕事を探しているが、書籍編集者でなければいけるのではないかと目算を踏んでいる。あれは片手間でできる仕事ではない。文筆家志望ないし作家志望だと、仕事と生活が破綻するので、私の就職先からあえて遠ざけている。ただし、雑誌編集者、WEB編集者だったら、両立は可能なのではないか。むしろ、主筆として健筆を揮うくらいの気持でいたい。願わくば、わたくしの仕事と社会の仕事が両立せられんことを。

シガレットの色気

煙草を嗜んで、3年が過ぎた。初めて吸った紙巻はHOPEで、会社帰りの終電を逃した時、北千住の歩道橋で夜のビル群を眺めながら一服したのであった。その後、パイプに手を出すまで、1年とかからなかった。

確かに、私は愛煙家には違いないが、ヘビースモーカーないしチェーンスモーカーではない。シガレットであれば、日に2、3本くらいだし、パイプも週に2、3回くらいしか吸わない。むしろ、まったく吸わない日があっても大丈夫である。私の身体の体質が、それほど煙草を求めていないというのもあるし、私は他に御香を焚く趣味があり、普段から煙に曝されているので、そこまで煙草に依存しなくて済むという事情がある。

それゆえ、シガレットは癖になるので、パイプ一本でいきたい、という思いがあるけれど、なかなか実現できずにいる。やはり、シガレットの手軽さには敵わないのだ。今は主に、LARK、Peace、LUCKY STRIKEの三つの銘柄を転がしている。けだし思うに、シガレットの魅力は手軽さに尽きない。私が魅了されたのは、その色気である。色気とは何か? それは年齢、性別を超越した、その人から立ち昇る光輝かがやきである。

煙草の似合う人は西洋人に多い印象があるが、日本人も負けてはいない。若き日に、大杉栄と心中未遂事件を起こした、神近市子の色気は半端ない。世に言う美人ではない。しかし、シガレットを片手にした時の色気が凄いのである。しかも、戦後、社会党の代議士をしていた頃は、とうに還暦を過ぎたおばあちゃんなのだから、私の御色気理論の証左のような存在である。他にもいい写真があるので、興味のある人はGoogleで検索してみてほしい。

歴史は確実に禁煙の方向に進みつつあるし、それは仕方がないことだと思うけど、シガレットやパイプの代替にアイコスなどの「デバイス」が席巻している状況を、私は苦々しい心持で眺めている。だいたい掌で、硬い棒を握りしめて吸う様は、見た目としてよろしくない。しかも、煙草を燻しているから、焼き芋の味がするし、臭くてかなわん。——そう思うのは私一人だけではないはずだ。

と、時代遅れの老害のようなことを語りながら、秋の夜長に一人、紙巻を片手に珈琲を啜っている。そろそろ手巻煙草の習慣を再開しようかと思いながら。

神近市子

HandWriting

過労気味である。週5日、施設で介護をやり、残りの1日、2日に訪問介護をぶち込んだのがいけなかった。夜勤さえなければ大丈夫だろうと高をくくったが良くなかったのである。

思えば、介護に限らず、新聞屋でミニコミ紙のライターを週6日、7日、ぶっ通しで働いていた時も、過労で頭がビクビクした。疲れ過ぎると、私は基本的に無感動になる。口数が少なくなる。抑鬱的になるのである。今回、同じ轍を二度踏んだことで、自分の性向を改めて理解した次第である。ちなみにライターという好きな仕事をしているのに鬱になるなよ、と思われるかもしれないが、あの頃は広告ライターとして、取材と営業に頻繁に出向いていたので、身体に相当負担がかかっていたのである。会社もたいへん人使いが荒かった。己の自由意志ではなく、誰かの命令に服して仕事をするのはストレスなのである。

でも、今、この原稿を書いているのだから、君は過労ではないではないか、と思われるかもしれないが、ここが面白い所である。私は書いていると元気になるのである。休養の仕方に消極的休養と積極的休養の二種類があるとすれば、私の場合は前者が読書で、後者が執筆である。軽い運動のようなものであろうか。実際、執筆は心と体を動かす営みである。特にタイピングよりも手書きハンドライティングにその傾向が強い。机に前のめりになって、本当に闘うように書いているのである。

もともと私は手書きは苦手であったが、それでも私は鉛筆や万年筆などの筆記具が好きだった。今はボールペンなど、もっと良い道具があることも知っているが、私は頑なに先の二本を使い続けている。単なる懐古趣味といえばそれまでかもしれないが、私は本質的にシンプルな道具が好きなのである。現にこの原稿も、ルーズリーフに万年筆のペン先を、適宜インク壺に浸けながら書いている。その下書を、コンピューターで清書して完成である。

手書きハンドライティングの機会を増やして、気づいたことがある。

多少、酒に酔っても書けるのである。たしかに泥酔の極みに至れば、ペンを握ることは能わぬが、キーボードとは違い、ペンが杖の代わりを果たしてくれるので、酒に酔いながら、気持よく書くことができるのである。現に今、梅酒を飲んでいる。(酒を)飲みながら仕事をするなんて、不謹慎ではないか、と思われるかもしれないが、殊に文芸の世界では、書ければ何だっていいのである。書いた者が勝つのである。なので、多少、鬱ぎみであれば、アルコールの効能ちからを借りるのもよいではないか。そのことに気づかせてくれた手書きハンドライティングであった。

Montblanc Meisterstuck 146