師走の候

コロナとの戦いで、長時間ストレスに曝されているせいか、同僚たちのお腹の調子が悪い。防護服を脱ぎ、下腹部を抱えてトイレに駆け込む姿が目立つ。私もなんだか胃がムカムカする。終業間際に上司の吉野さんが言った。「いつまでこれが続くんすかね」

365日、休みなく稼働している私の職場に、仕事納めの概念はなく、私個人としても、今後、勤めていても、サラリーマンのように働くことはないだろう。毎日働く。これが信条である。

最近、文筆の勢いが落ちている。師走の寒さで気を引き締めて、緊張テンションを高めにして、気持よく書き飛ばしていきたい。

来年は生活が様変わりする。今から物事を少しずつ勧めていきたい。今年は苦楽の多い一年だった。来年はその強度がさらに増すだろう。本当の戦いはこれから始まる。

rainer Widerspruch

かなしめり。純粋な矛盾を生きている。こういう時は書くに限る。書いて、書いて、己の現存在を忘れること。

放擲していたルポルタージュを書き継ごう。作品の完成を心待ちにしている人は結構いる。下手でもいい。不完全でもいい。疑問、反論の余地を残さない位に書きぬくことだ。

Writer's High.書くことは走ることに似ている。私は走る。やがて、走ることそのものが理想になる。

私は走る。私は逃げる。逃げる? いったい何から逃げるのだ?  現実が私のすがたを捕える前に、それよりも疾く逃げること。グレアム・グリーンは知っていたのだ。書くことは『逃走の方法』なのだ、と。

来し方行く先

職場のコロナ禍はようやく落ち着いてきて、とりあえず私の配属されているフロアでは新規陽性者は出なくなった。ただし、他のフロアに飛び火しているので、感染が全館に拡大しないようにウイルスを封じ込める必要がある。今が正念場である。

昨夜は5時間くらい寝たが、けっこう疲れていた、なによりも、気が張りつめていたんだと思う。クラスター発生当初よりも少しはましになったが、依然として感染のリスクは高いし、防護服を着ながらの真冬の労働は寒暖差が激しく、体力を奪われるのだ。今年、特に年の瀬は本当に現場で働いた、という感じがする。

そろそろ本腰を入れて転職の準備を進めなければ、否、それよりも先に、文筆の方を頑張らなければならない。先日、塔短歌会への入会を済ませたが、4年間の空白を経て、これでようやく再スタートが切れる。結社に所属するということは、権利だけでなく、それに伴う責任と義務が生じるので、もう一度、兜の緒を締め直すこと。

書くことは大事で、文士ライターとはそういう職業であるが、併せて読むことも大事で、ハッキリ言って、今のままの読書量では創作全体を支えることができない。読書の経験は、執筆の段において、表現の手数を増やすことに資する。実際に私は文語訳『聖書』を読み込むことで、私の短歌の修辞レトリックは飛躍的に向上した。同時に読書においても、古文を読むことを少しも厭わなくなった。韻文の技術の向上を、散文に活かすことはできないか、と考えているが、これは実際に書いてみなければ分からない。やはり、小説を書かなければならないのだろう。

来年の目標は仕事を変えることであるが、それだけで良しとする訳にはいかない。読むこと、書くことを、今よりも多くして、活動の総体を伸長、拡大することだ。作品を書くことの難しさを思えば、転職など容易たやすいものである。

HotLine

一昨日、昨日は本当によく電話をした日だった。まさしくホットラインと呼ぶにふさわしい、まるで私自身が受話器になったような感覚だった。コロナ禍のために実際に会えない事情があるが、通話時間は私達の活動が質量ともに増大している証左だと思いたい。

マルクス・イェーガー『基礎としての精神病理学』を読む。今後、時間と身体が許すかぎり、精神病理学の勉強に打ち込みたい。これは決して好事家の道楽などではなく、将来的には資格と仕事に昇華するはずだ。

来年は動画編集の仕事もすることに決まった。まさか自分がこの領域に手を出すとは思っても見なかった。ハードウェア、ソフトウェアの使い方も学ばなければならないが、この種のことは、実際に手を動かしながら、作品を作りながら覚えるので、特に心配していない。むしろ、友達と電話しながら、企画が思わぬ方向に進んでいったことを喜びたい。こうして人間は自他共に変容メタモルフォーゼしていくのだ。

コロナ鬱

コロナ禍における鬱病、いわゆる、コロナ鬱について思う。

このブログは今まで明確に新型コロナウイルスの概念を使うことを避けてきたが、今回の事象はそれが原因であることは明らかなので、隠語等で包み隠さずに書きたい。

私は特別養護老人ホームで非常勤の介護福祉士として生計を立てているのだが、現在、私が所属しているフロアに入居している利用者1の約8割が新型コロナウイルスに感染している。私たち職員は防護服を着て業務に当たっているが、それでも職員に感染し、休職を余儀なくされ、私たちは少ない人員で現場を回していかなければならない、苦しい状況に立たされている。

コロナ禍の現場で一番怖ろしいのは、やはり自分自身が感染することで、介護の三大業務は《食事・排泄・入浴》なのだが、このうち排泄介助が最も利用者の感染症に職員が罹患する可能性が高い。新型コロナウイルスに感染した患者、特に高齢者は、消化器官を含めた内臓の機能が落ちるので、下痢が多くなる。多量の泥状便、水様便の処理に当たる時が最も「感染うつるな」と思う瞬間である。

また、利用者をトイレに誘導する時も罹患する可能性が高い。介護では、利用者が手すりに掴まって立っている最中にオムツを穿かせる《立ちオムツ》という技法があるのだが、どうしても介助者は利用者に身体を密着させる必要がある(高齢者は立位が不安定なのだ)。その最中にゴホゴホ咳をされると、フェイスシールドをしていても「これは終わったな」と思う。

私はまだ幸いにして感染していないが、それでもこのような状況下で来る日も来る日も介護をしていると、気が滅入ってくる。しかも、感染した利用者は安静にしたり、二次感染を防ぐために、部屋に隔離したり、ベッドに臥床するのだが(当然屋外には出られない)、それを続けていると、彼等は狂ってくる。持病の認知症が悪化するのだ。私たち職員もまた狂ってくる。ミッシェル・フーコーは近代の病院、養老院(老人ホーム)などは、監獄の理性化された諸形態のひとつであると看破したが、そこで私たちは労働することを引き換えに、みずからの理性を奪われているのだ。

もともと私は躁鬱病の持病があり、普段、抗精神病薬を服用することによって、軽躁まで持ち上げているが、今、コロナ禍の現場で介護労働に従事していたら、さすがに鬱に落ち込んできたような気がする。鬱病は感染症の流行にともなう二次的な精神症状のひとつだ。私は薬を飲むことで対処しているが、これを看過ないし軽視してはならない。

二日間の公休を経て、明日、私は現場に戻る。クラスター発生直後に罹患した職員は次々現場に復帰してくる。まるで戦争の光景である。感染のリスクに曝されている私たちは社会から隔離され、孤立した状況で働いている。若者は青春と自由を奪われ、老人は衰弱していく……。この戦争が終わったら、私は介護福祉士を引退する。


  1. 福祉業界では顧客を「利用者」と呼ぶ。

ポケットウイスキー

吉田満『戦艦大和ノ最期』に、士官たち、殊に若者たちが、戦闘前に絶望的な気持を少しでも持ち上げようとして、ポケットウイスキーを呷る場面がある。

英国海軍には士官がウイスキーとジンを嗜む伝統があるが、彼等を模範に創られた大日本帝国海軍にもこの伝統が脈々と受け継がれたことは想像に難くない。「鬼畜米英」などは一過性のスローガンに過ぎず、日本の海軍軍人はその本質において、英国を深く愛していた。

イングランドにおいて、ジンは労働者の安酒であり、ワインは紳士の上物であるとされた。それでもなお、海軍は酒保にジンを常備し、マティーニ、ギムレット、ジントニックなどのカクテルを開発したのだから、これには本音が垣間見れるような気がする。つまり、海軍士官は紳士ではない。心情的には労働者に近かったのではないか、と思う。

デスマーチ

利用者の8割は陽性。職員は罹患してバタバタ斃れている。このような状況の中、私は生き残りの一人だが、私もいつ抗原検査で陽性になるかも知れない。いや、最後まで頑張れるかもしれない。ここまで来ると、自分は大丈夫、と意気ることはすべて無意味で、罹るときは罹る、駄目になるときは駄目になるのである。就業中、私達は常に防具服で身を堅めているので、発汗、疲労、ストレスが半端ない。感染症に対応するために通常とは違う動きをしていることも大きい。学生の頃、ジョルジュ・ソレルに倣って、日常/非日常の妙な理論を組み立てていたが、まさか三十代半ばの中年において、ここまで非日常を満喫できるとは思わなかった。防護服を脱いで、施設の外に出ると、本当に娑婆の世界が広がっているのだ。今回の疫禍の第8波で、私は介護福祉士としての生命を全うするだろう。

Krankeの病を得たる人々の名前を見詰む次は我なり