紫煙と決意

大晦日。私は相変わらず老人ホームで働いていた。勤務中、後輩のNくんが「兼子さん、この後お時間ありませんか?」と訊いてきた。私はてっきり、彼が最近吸い始めた煙草について、一緒に紫煙をくゆらしながら語り合いたいのかと思った。「いいよ。でも、竹ノ塚で煙草を吸える喫茶店って少ないよね? 健康増進法と東京都の喫煙条例のためにほとんど吸えない。むしろ、酒場バーなら吸えるけど、大晦日にやっているかどうか……」私がそのような懸念を表明すると、彼はそのような世間的な諸事情はまるで顧慮に値しないとでも言うように、踵を返し、再び業務に戻っていった。頼もしいというよりも、どだい調査リサーチが足りない。私とNくんの典型的な行動である。見切発車で事を始める。進める。そうなると、その仕事は詰めが甘くなるし、実際そのとおりだが、時に力業でやり遂げることがある。

6時間後、私達は牛繁 竹ノ塚店に居た。「煙草を吸える店に行きたい」とのことだったが、そんな店はパブとかスナックとか以外に開いてなく、結局、普通のチェーンの焼肉屋に入ることになった。店を開けて、灯りを点けてくれるだけでも有難いことである。

店に入り、席に着くや否や、彼は「兼子さんにプレゼントがあるんです」と言って、無印良品の紙袋を取り出した。「ご自身で開けてみてください」袋の中には、ボールペンとノート、そして、ZIPPOのライターが入っていた。ボールペンは水性の細字。ノートは狭いスペースでも開きやすいリング綴じである。特筆すべきなのはZIPPOで、これはパイプ専用である。偶然と必然が上手く絡み合い、私の気難しいのぞみに上手く応えてくれた。そして、私達はNくんの御馳走の焼肉をガツガツ食べた。最近、彼も一人暮らしを始めた。一人、自分と向き合う時間が長いので、人と一緒に御飯を食べるのが堪らなく嬉しいそうだ。男性介護労働者一組のこんな大晦日があってもいい。Nくん、一人暮らしおめでとう。 誰にも譲ることができない、自分だけの希望のぞみを叶えられるといいね。

焼肉屋を出ると、私達はZIPPOのパイプライターで、紙巻に火を着けた。私は喫煙という行為に、孤独と貧困に負けない若者の意志を感じた。

ZIPPO パイプライター

SpeakEasy

自宅がサロンのようになっている。今年の初めの頃だろうか、会社の総合職を降りて、個人事業主として独立した頃から、友達が家に遊びに来ることが増えた。だいたい酒を飲んだり、煙草をくゆらせて過ごすのだが、冗談の中にも真面目な会話があり、その一瞬の啓示にハッとさせられることがある。酒場で飲めば数時間いるだけでそれなりの金額を取られるが、自宅で飲めば1200円のウイスキーを二人で割る計算である。それで朝まで居られるのだから、相当安上りである。特に冬は寒さのあまり、コンビニの前で一寸ちょっとイッパイということができないので、結局、暖房の効いた家に向かうことになる。最近はコタツを導入したので、そこを寝床にする奴もいる。酒場では憚れる会話も、自宅ならば許される。この愉しみを覚えると、外で飲食する機会は少なくなり、ますます家に引き籠るのは自然の流れである。わが家の誠命いましめはスピークイージーである。

旗日を忘れし人

旗日のない生活をして久しい。キリスト教徒になって、クリスマスと正月は奪還したけど、他は以前として祝日の感覚がない。とまれ、私は先に「旗日」と書いたが、私は国家が恣意的に制定する祝日に対して関心がないので、この状態でも特に不都合はない。

政治哲学者の南原繁はキリスト者であると同時に国家主義者であった。この点は銘記されていい。彼は歌集『形相』で靖国を賛美する歌を書いている。無教会派は徹底した個人主義だが、それを支える社会を否定するために、国家(国体)に案外飲み込まれやすい。共同体を形成する真の紐帯は何か? それは南原の政治哲学の永遠のテーマであり、彼はそれはと答えたが、彼のその愛は個人と社会を超えて、国家をも包んでいた。彼を批判するのは易しい。しかし、彼の功績は政治学に力(権力)だけでなく、愛(恩寵)の必要を訴えたことである。弟子の丸山眞男は師のこの教えを受け継がなかった。彼には彼の問題があったし、もともとその気質でもなかった。天才はジャックナイフのような冷徹な知性を持ち合わせているらしい。

枯草

今年、すべての力を使い果たした。あとは慣性で仕事をする。

来年、転職活動で好調なスタートを切れるように、今年中に仕込みをしておく。履歴書と職務経歴書はもちろん、転職サイトのポートフォーリオのメンテナンスもしておく。

転職先で重視するのは、年収と労働環境。これは譲れない。むしろ、今より改善されることは確実だ。条件が良ければ業界、業種は問わない、といえば嘘になるが、出版/WEB/福祉を目指そうと思う。ちなみに福祉に関して求めることは、現場仕事はもうやらないということだ。4年間、私は現場で十分働いた。老人ホームで働いた年月は余計だったのではないか、と後悔する時があるが、介護福祉士の資格を取得したのはよかった。一応、躁鬱病も寛解した。これは自信になった。

「三十にして立つ」という。気力が充実し、それが体力を牽引する時だ。来年は己の本来の志望に沿った仕事がしたい。そして、それを下支えするための勉強がしたい。私の三十代は容易に絶望しなくていい、ということを経験として学んだ時期なのかもしれない。希望は現実的な認識である。それは予感として存在し、その一部はすでに叶えられているからだ。

特権的瞬間

未だ低空飛行を続けている。申し訳程度に短歌は書いているし、作品のクオリティはそこそこ担保している。しかし、いかんせん生産高が少ない。これぐらいの作歌のペースだと、毎月結社誌に詠草を提出し、歌会に参加していると、すぐに顎が出る。今こそ歌人としての自覚を強くし、年の瀬で気を引き締めること。これから猛者たちと闘うのだから、創作と同時に研究を進めなければならない。

山谷のルポルタージュを年内に書き上げられなかったことが心残りだ。いつまでも心の片隅に置いていると、具合が悪い。今年もまだ終わった訳ではない。一度書き下ろした原稿は諦めないこと。

立教学院諸聖徒礼拝堂のクリスマス礼拝に参加した。今年は聖餐式と同時開催である。昨日のクリスマス・イブ礼拝が、学生、生徒の保護者など、比較的一般の市民を対象にしていたのに対し、今日のクリスマス礼拝は堅気のキリスト者を対象にしていると感じた。まだ洗礼を受けてない私でもそれは分かった。秘跡サクラメントは日常的な時間の継起を断絶する、特権的瞬間と呼ぶべきものである。

2022年は本当に色々なことが起こったが、全体的に見て苦しい年だった。しかし、去年までのように、会社に大人しく勤めて、しかも夜勤をこなすことで、人生の貴重な時間を奪われることに比べたら、本当に豊富な年だった。その証拠に今年は出来事が多かった。新しい仕事、友情、恋愛があった。それは苦悩と歓喜を呼び起こした。そして、私はそれを真摯に文字に書き留めた。私達の心に平和が訪れ、そのわざがいよいよ豊かになりますように。メリー・クリスマス。

立教大学

クリスマス・イブ

日本でクリスマス・イブといえば、世間的には恋人あるいは家族と仲睦まじく過ごすとされているが、私にそのような習慣はない。幸いにして、私はキリスト教徒なので、教会に行き、キリストの生誕を祝うが、今年は喜びよりも哀しみの方が大きい。大部、自分勝手に生きて、人々を傷つけてきた。そういう自覚があるからである。

私は教会に行くとき、殊更なにか願を掛ける訳ではなくて、己の罪を自覚し、懺悔して、それでも己は主に祝福されていることを確認する。それ丈である。

ただ、私の誕生日は12月23日である。キリストの誕生日よりも二日早い。キリストが世に生まれた喜び、私が世に生まれた喜びを信認する。クリスマス・イブはそんなふうに過ごしたい。

フェミニスト

この頃、文体が崩壊しつつある。理由は何であれ、壊れれば、壊れるに任せればいいし、持ち直せればそれに越したことはない。しかし、大切なことは、まるでハミガキをするごとく毎日書き続けることである。そうすれば、自ずと、自分の才能に気づいて、案外、泰平な心持でいられるはずだ。

かなしさという言葉を知ったのは、辻邦生の作品を通じてである。愛することは哀しみを伴う。以来、それを確認する所業を今日まで続けてきた気がする。

イエスが十字架に磔にされた時、ペテロなど男性の使徒たちは皆逃げたが1、マグダラのマリアなど女性たちは最期までイエスに付き従った。カトリックのマリア崇拝はこの事実に基づいている。

女性は冷たい、打算的だ、など世間では言われるが、私は女性は本当に優しいと思う。男性は力に眼が眩み、道を踏み誤ることが多いが、女性はその危険が少ないのである。愛と平和は女性なしに実現することはできない。ゆえに私はフェミニストなのである。女性に親切にするのは私の当然の務めである。それで報われるのだから、苦労は苦労でなくなるのである。

マグダラのマリア


  1. ただしヨハネは残ったという言い伝えもある。