歌うたのしさ 読むよろこび

『塔』2023年1月号が届く。約5年ぶりの再会である。ちょうどその頃に任意団体から社団法人に組織変えしてからは、誌面づくりがいよいよ洗練されているように感じる。その発送用封筒には「歌うたのしさ 読むよろこび」と記されている。今後、全国の歌友たちとしのぎを削ると思うと身が引き締まる。今月の詠草の提出の〆切は20日。明日中に原稿を整理して郵送しよう。

とはいえ、私は近頃、短歌を含めて韻文を全然書いていない。一方、ルポルタージュなどの散文は気合を入れ直して、少しずつ稿を進めている。韻文と散文の間には矛盾、対立、緊張があるし、両立は想像以上に困難である。片方に専念した方が楽だろうし、私はどちらかというと歌よりも文の人なのだが(私は文人/文士という言葉に拘るのはこのためである)、両方続けた者にしか分からない恩恵めぐみがあるのは確かである。島地勝彦(編集者/バーマン)の「迷ったら、二つとも買え!」の金言に従うしかない。

活動家 アリョーシャ

悲しみのうちに幸せを求めよ。

——ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

私がまだ大学院に居た頃のことである。ゼミで『カラマーゾフの兄弟』が話題になった。その時、先生はぽつんと言った。「続篇では、アリョーシャは皇帝を暗殺するかもしれない、という説があるね。兼子くんはこれからどうなるのか。楽しみにしているよ」

私がこの頃、聖公会の教会に通っていることを大学時代の友達に告げると、彼は次のように言った。「君はアリョーシャになりたいのか?」

『カラマーゾフの兄弟』を再読しているが、学生時代には読み飛ばしていた所にことごとくぶつかるようになった。気づかなかった所に気づくようになった。分からなかった所が分かるようになった。この10年の間に私の経験と思想が深化したのだろう。

ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』の末弟 アリョーシャを「活動家」として定義している。意外なことに修道士ではない。これはアリョーシャが世に出て、そこで働き、そこに生きる人々と交じわることを意味する。

活動家は本質的に現実主義者リアリストである。アリョーシャもまた現実主義者である。ドストエフスキーは真のキリスト者は真の現実主義者と見ていた。キリスト教徒はとかく理想主義者イデアリストに見られがちだが、彼にしてみれば、それは違うのである。ロシアの修行者は大地に接吻し、天上を仰ぎ見る。

アリョーシャに思想ないし理想はあるのだろうか。答えは然りである。作中、ミウーソフが公安刑事の次のような談話を紹介している。「われわれは実際のところ、アナーキストだの、無神論者だの、革命家だのという、あんな社会主義者たちをさほど恐れておらんのです。あの連中の動きは監視していますし、手口も知れていますからね。しかし、連中の中に、ごく少数ではあるものの、何人か特別なのがいるんです。それは神を信ずるキリスト教徒でありながら、同時に社会主義者でもあるという連中なんですよ。この連中をわれわれは恐れているんです。これは恐るべき人々ですよ! キリスト教徒の社会主義者は、無神論の社会主義者よりずっと恐ろしいものです」

キリスト教社会主義者。これがアリョーシャの将来の姿である。また作者ドストエフスキーその人の姿である。彼は若き日の社会主義の理想と、シベリア流刑後のキリスト教の信仰を堅く守り続けた。政治と宗教——彼の中でこの二つは分かちがたく結びついていた。ここにドストエフスキーという作家の創作の動機モチーフがある。

最初の質問に戻ろう。私はアリョーシャになりたいのか? 答えは然りアーメン。ゾシマ長老のアリョーシャへのはなむけの言葉に私は涙した。

お前のいるべき場所はここではないのだよ。これを肝に銘じておきなさい。私が神さまに召されたら、すぐに修道院を出るのだ。すっかり出てしまうのだよ。どうした? お前のいるべき場所は、当分ここにはないのだ。俗世での大きな修業のために、私が祝福してあげよう。お前はこれからまだ、たくさんの遍歴を重ねねばならぬ。〔…〕お前にはキリストがついておる。キリストをお守りするのだ。そうすればお前も守ってもらえるのだからの。お前は大きな悲しみを見ることだろうが、その悲しみの中で幸せになれるだろう。悲しみのうちに幸せを求めよ——これが私の遺言だ。

ワレ東京ニ帰投ス

塔短歌会の幹事の方に、詠草をメールで送った。1/15に新橋で歌会をするので、そこで議論の俎上に載せる一首を提出したのだ。

およそ5年ぶりの歌会への参加。かつての私は青白い顔をした文学青年だったが、今では血色のよい文士に変貌しようとしている。ようやく東京に帰投する思いだ。私にとって、職場の老人ホームがある伊興はついに東京にはなりえなかった。老人介護を離れて、歌人うたびとたちと、短歌と文学の話ができる。これに勝る喜びがあるだろうか。

山谷のルポルタージュを書かないと、転職活動ができないことに気づく。今月中に完成させること。

包丁を握る

普段、私はほとんど料理をしない。御飯を炊いて、納豆と卵をかけるだけである。

しかし、人と付き合って、その人が家に遊びに来るようになると、意外に料理をするのである。安上がりなのにたくさん食べられるのが動機としてあるが、その他に他人ひとの目を気にしないで済むというのが挙げられるだろう。わが家の酒棚バックバーには洋酒がふんだんにあるので、食前、食中、食後酒には事欠かない。昨晩は鳥鍋と鯨の刺身にドライ・ジンの取り合わせが非常に美味であった。ジンはボンベイである。ロンドンの下町の安酒に違いないが、水あるいは湯で割ると、日本酒の冷酒あるいは熱燗に負けないくらい和食に合うのである。もともと私は食は和食、酒は洋酒が好きなので、料理に合う酒を探求するのも乙であろう。私は無趣味な人間であるが、今後は料理を趣味にすれば、人生の後半を楽しく送れるかもしれない。

作家の嵐山光三郎は出版社を辞めて独立したが、その後、貧苦に攻め悩まされた。その怒り、憤り、悲しみを慰めてくれたのは料理だという。私は中年を過ぎて初めて包丁を握った。料理を食べる方にも事情があるが、作る方にも事情があるのだ。

出版からWEBへ

表題は何を今更という感じがするが、今回の転職活動では出版業界ではなく、WEB業界を第一志望にすると思い定めた。すると、希望の職種はWEBライター、要するにWEB媒体を専門に書くライターに焦点を絞ることになった。

今まで書籍、雑誌など、紙媒体に拘っていたのにらしくないじゃないか、と思われるかもしれないが、幸か不幸かこの3年間、私は紙媒体に文章を発表することができなかった。その代わりにブログと呼ばれるWEB媒体で文章を発表し続けてきたのだが、それがある程度の経験を蓄積したと自覚し始めたからである。

書籍、雑誌などの出版業界における原稿ネイティブデータの標準はWordとInDesign、そして、少々マニアックな所にLaTeXが食い込んでいるが、WEB業界におけるそれは、MarkdownとHTML/CSSである。その形式は普段、私がはてなブログを更新する過程で親しんでいるものである。もっと簡単に言ってしまうと、出版業界は未だバイナリデータが支配的であるが、WEB業界はテキストデータが普遍的なのである。私は後者の方が遥かに心地よい。私はプログラマではなく、一介のライター過ぎないが、素人目には前者に見まがわれることがある。その理由は執筆の最中にテキストエディタとターミナルを睨めっこしているからである(万年筆とルーズリーフの時もあるが)。私はテキスト文化に憩い、そこに安らいでいる。ゆえに私はWEB業界に行きたい。

階級の恨み

介護について書きたい。というよりも、介護について社会学したいと思ったけれど、これについて具体的に書くと、カドが立つので、今回は抽象的なレベルの話に留めておく。こういうことは普通、その出来事が生起している場所から身を引いて、しばらく経った後に、過去を回顧する形で書くものだが、私は5日フルタイムで働いて、仕事もこなれているので、現役バリバリのように見えるが、その実すでに引退していて、心ここに在らずなので、こうして客観的に書けるのだろう。「ミネルヴァの梟は夕暮に飛び立つ」。

社会福祉法人の特別養護老人ホーム/有料老人ホームに勤務して4年が経つが、周囲の人々にチヤホヤされて、と言うと語弊はあるが、人々の親切と恩恵を享けて、ここまでやってこれたのは事実である。しかし、良いことばかりではなかった。時に人の不興を、憎しみを買うことがあった。世間の人々は祝福された存在に対して、それを認めて愛するか、あるいはそれを妬んで憎むか、いずれかの行動を取る。この双極的な振れ幅はなぜ生じるのか? それは人格のような人間学的な問題に尽きない。明らかに社会科学(社会学)的な問題が存する。つまり、人の好悪という一見、感情的な現象でも、そこには確実に階級的な原因が存在するのである。

私は中産階級の出身である。しかし、高等教育と教養によって、この限界を超えようとした。初めは知識人として、次は芸術家として、自己に課せられた階級的くびきからの脱出を企てた。こういう偏差値を無視した、逸脱した行動は、異常でも何でもなく、知識社会学ないし芸術社会学において、知識人と芸術家の思考/行動様式の典型として認められている。

自己の範疇を超える人物には特別の光輝かがやきがある。知識人と芸術家はその理念型において、超階級的存在である。それは一見、上流中産階級の理想像のように見えるが、全き知識と全き芸術は階級、民族、性別等を超えて、普遍的である。現実としてそれはまだ不完全でも、理想としてはそれが真実であり正義である。本来の知識人と芸術家はそのような思いで仕事に励んでいるはずだ。

しかし、そんな人間が社会に一歩出ると、人々のいつくしみを得ると同時に、おそらくそれ以上の妬み、恨みを買うのも事実である。芸術家ないし知識人は社会的(社会学的)に特異な存在である。彼等は社会の中で特別な使命を帯びているので、大衆の中に居ると目立つ。彼等の毀誉褒貶の対象になるのだ。

私は介護現場で何度もそのような現実に直面した。それは階級の恨みと呼ぶべきものだった。私が世間知らずの初心だったことも相まって、その強さ、激しさに驚いた。そのうちポジティブな感情よりもネガティブなそれにぶつかることが多くなってきたので、結局、私の居場所はここにはないと観念して、この業界から潔く身を引くことにした。彼等の心と同じように、私の心も頑なになったのかもしれない。

反攻の年

元旦。私は相変わらず立教大学のチャペルに居た。聖餐式の5分前、隣の会衆委員の丸茂さんが「今年は兼子さんにとって、飛躍の年になりそうですね」と言った。私は合掌し、左右の親指を交差させて言った。「然りアーメン

実際の新年の私は精神的エネルギーが枯渇した、脱殻のような存在である。体力的には疲れていないが、精神的に参っている。創作に気を回す余裕がないのかもしれないが、これを辞めたら、凡夫の私には何もいい所がなくなるので、死ぬまで続けるしかない。創作者の死はその人から光輝かがやきを容赦なく取り上げる。

短歌は再び書ける予感がある。しかし、創作と併せて研究も進める必要がある。今、北原白秋を読んでいるが、大して響かなかった。これなら若山牧水の方がいい。私はそこまでの理論家ではないが、純然たる感覚派は苦手なようだ。近藤芳美と塚本邦雄に向かう必要性を感じる。

小説は何とか歴史小説の短編を書けそうだが、もう少し情報と身辺を整理してからの方が作品に集中できそうである。今年は短歌と小説を集中的に書くが、後者は特に習作をバンバン発表したい。ブログはそのための媒体にしてもいい。作品の品質がある程度保証できるようになったら、Kindleの電子書籍として、作品を出版、販売する。いわゆるKDPと呼ばれるセルフパブリッシングである。そのためにHTML/CSSを本格的に勉強する必要がある。TeXの知識ももう少し深化させる必要があるようだ。今度、池袋を訪れた際にジュンク堂の技術書の棚を覗いてみよう。文学と併せて、技術の勉強も同時に進めること。

等々、今年は個人事業主としての飛躍の年なので、転職先はそこまで真剣に考えていない。もはや出版業界にこだわっていない。然るべき収入と時間が確保されれば十分である。会社の業務は私の創作を下支えしてくれればそれでいい。否、むしろ邪魔立てさえしなければそれで十分である。2023は反攻の年である。