飲もう飲もう

午前2時起床。20日に締切の『塔』に提出する原稿を書き上げる。

「山谷」の連作を思い出で膨らませる。出来はよくない。量産するので仕方がない。創作とは、このような忸怩たる思いに耐えることである。しかし、一つだけよかったことがある。連作を力業で10首書いたことである。「句は賜り物」とよく言うが、神から言葉が降りてくるのを待っていても仕方がないので、自分で作り上げるしかないのである。5年、10年、これを続けていれば、相当な力になるのではないか。歌人として堂々と名乗れるのではないか。まあ、私の肩書は記者でいいんだけどね。フィクションを書くような想像力もないし、絵空事、夢物語を書くことがそんなに良いことだとは思わない。だから、私はファンタジーなど軽蔑しているし、ほとんど読んでいない。現実にもっと大切なことがある。解決すべき問題もある。そう思うのね。そういう意味で、私は今もマルクス主義者かもしれない。——『空想から科学へ』。

『塔』に提出した渾身の作品が5首も落とされたことに、まだ気落ちしている。永田(和宏)さんだったら、私を拾ってくれたのに。女々しいけれど、そういう思いがある。徹夜して原稿を書き終えた永田さんが、妻の河野(裕子)さんと「飲もう、飲もう」という歌ないし文があるが、そういう放埓さはいいなと思う。芸術家なんだからそれぐらいしなきゃあ。

ということで、今、ワインを飲みながら、編集後記のようにこのブログを書いています。

朝カレー

早朝、目が覚めたので、昨夜買っておいた、ニンジンとタマネギを使って、カレーを作った。ちなみに肉は忘れた。なので、野菜カレーということにしてください。いや、実際はニンジンカレーか。

今日は池袋で聖餐式のあと、新橋で歌会。移動の合間に急いでラーメンないしソバをすするなど、忙しいスケジュールである。しかし、休日でも文筆のことについて、書いたり、話したりできる環境はありがたい。生活が執筆/編集のために組織されているようである。教会の活動もその一環であり、私の聖書研究、キリスト教研究に資するのである。信仰、とよく言われるが、私の場合は学問的な愉しみが多分にある。

歌会のあとは、自宅で『塔』に提出する原稿を書くことになるだろう。山谷の連作を深化、発展するつもりだ。『塔』の4月号には、私の歌は5首しか載らなかったが、これぐらいで落胆してはいけない。確かに満を持して出したし、悔しくもあるが、それぐらいで辞めるようでは根性がないのである。私の作風は現代の歌壇ではあまり評価されないか、あるいは熱心な支持者を獲得するかのどちらかだと思うが、何か気の利いたことを口語でペラペラ詠む、現代の若い人の短歌を私はあまり楽しめないのである。明治、大正の頃の名もない歌人に比べて、明らかに退化していると思う。

悔しいので、落選した作品をブログに掲載することにする。

悪場所の酒を飲みたる暁に雨に撃たるる巷間を過ぐ

正規表現

よく寝た、と思って起きたら、午前3時。薬のせいなのかはよく分からないが、この頃は睡眠相が乱れに乱れて、2時間ごとに覚醒、睡眠を繰り返している。神経が興奮しているのだろう。新しい仕事、新しい職場に慣れるまでの辛抱か。まあ、このままショートスリーパーでもいいですよ。家でも会社でも書きまくりますからね。本を読んでいる暇がない。時間が足りないんだ。

肩と首のハリ、コリはいまだ続いている。職場でも定期的にストレッチをしているけど、根本的な解消にはならない。会社の椅子が低いんじゃないかな(時代を感じさせる古き良きオフィスチェアで気に入っているのだが)。いずれにせよ、運動をする、飲酒をする(?)などのセルフケアは必要だろう。ウイスキーを飲むと、緊張がほぐれるので、ほどほどの酒は健康にいいのだろう。

以前、職場では文章の行頭に全角スペースを入れる悪しき習慣があるとごちたが、原稿をひとつ書き上げるたびに全角スペースをポンポンと入れていくのは苦痛以外なにものでもないので、何かいい方法がないかと試行錯誤をしていた。

私はふだん、テキストエディタで執筆/編集しているので、その検索/置換機能は折り紙付きだ。そうだ! 正規表現だ。これで行末の改行コード\nを特定して、その直後に全角スペースを入れればいいんだ。また、LaTeXとMarkdownの記法に馴染んでいる私は、段落ごとに1行空ける習慣があるのだが、会社の記法では完全に行を詰めている(ゆえに段落を表現する手段が全角スペースなのだろう)。空行の削除、追加も正規表現を使えば一発でできる。これで自宅でも職場でも快適に執筆/編集することができる。全角スペース、恐るるに足らずである。

しかし、こんなふうに自分と異なる執筆スタイルに合わせられるようになったのは、今までの研究、実践の賜物だと言いたい。私は老人ホームの介護職から新聞記者に転身したが(直近の1年間は個人で執筆活動をしていたが)、それは第三者から見れば余りにも劇的に見えるが、私の脳裡にはつねに執筆のことがあった(そのために「心ここに在らず」になることもしばしばだったが、それはご愛敬www)。老人ホームで介護をしていた雌伏の期間、私は密かに鍛錬を続けていたのだ。

ネズミを掴む

転職してから、首と肩が痛い。前職では背中と腰を酷使して、腰の捻挫(ぎっくり腰)も何度か経験した。まあ、何の仕事をしても、どこかしら痛いのね。これはもう割り切るしかない。

しかし、この頃は右肩が妙に凝ったり張ったりする。これはアレだね、ネズミのせいだね。自宅でパソコンを操作するときはいつも、タッチパッドだけど、会社だとデスクトップPCなので、ネズミの使用を強いられる。ネズミに対して、これといった恨みはないけれど、何か操作をするたびに右手がホームポジションから離れるので、作業効率は悪いと思う。

アスリートを引退した今でも、毎日ダンベルを振り回しているから、普通の人よりも鍛えているし、筋肉もあると思うんだ。でも、たかがネズミを掴まえるだけで、私の右肩が破壊されるとは……。普段、慣れないことをやるのは、案外、負担が掛かるものなのね。

しかし、ネズミに対する愛着は人一倍あるのよ。私は普段、マウスコンピューターのPCを愛用しているし、これからも使い続けるだろう。品質に関して「?」と思うこともあるけど、安価だし、修理などのサポートも充実しているから、今後、リンゴに乗り換えることはまずないだろう。Linuxのデスクトップ環境はシンプルなのにかゆい所に手が届く、汎用性が高いXfceが好きだし、OSはこれをデフォルトで採用したXubuntuが好きだ。ネズミのロゴが可愛いんだ。実用性も高い。思えば、開高健の小説『パニック』も、ネズミが主人公の小説である(人間も語りべとして登場するが、やはり、本作の主人公はネズミと見るべきだろう)。

と、私とネズミの浅からぬ縁を語ったが、たとえば横丁で、ドブネズミの走る姿を見かけても、これといった感興は起きない。マ、それでもネズミくん、これからもひとつよろしく頼むよ。

〆切近し

出版社に勤めていた頃のことである。昼食後、新橋から築地まで歩く途中、編集者の先輩がひとりごちた。

「そろそろ仕事しないとな」

当時の私は本の紙を選び、発注するような事務職のような仕事をしていたから、先輩のその発言に、自由業の大らかさを見るようでまぶしかった。

私は普段、会社で新聞記事を書く記者をしているが、その傍らで、「塔」という結社に所属し、短歌を書いている。記者としての私と作家としての私は並行しているのだ。

短歌の結社誌ないし同人誌の〆切は毎月20日である。そろそろ弾数(私にとって歌はそういうものである)を増やさないとな。お尻に火がついて、焦れる思いである。

生と死

われらが微賎いやしかりしときに記念したまへる者にかんしやせよ
その憐憫あはれみはとこしへに絶ゆることなければなり

『詩篇』136篇23節

昨日、立教大学のチャペルで復活祭イースター礼拝が行われた。また、併せて洗礼式が執り行われた。

私の教名(洗礼名)は、キレネのシモン。アフリカ北部のユダヤ人で、ちょうど、過越の祭に礼拝に来ていた。ローマの兵卒に捕らわれて、イエスの十字架を無理矢理肩代わりさせられる。当時の十字架は60kg以上の重さである。イエスもさることながら、シモンも相当屈強な男である。

やはり、私はガテン系なのか。まあ、十字架を強いて担ぐことがポイントである。十字架は誰でも好き好んで、担ぐものではない。それは宿命として背負うものなんだ。

いずれにせよ、私は2023年4月9日をもって、キレネのシモン兼子崇志になった。


洗礼式のあと教父母を交えて、食席ないし酒席を共にした。

帰路、私の乗車している電車が京成小岩駅に着く直前で、何かに衝突し、緊急停車した。

私は先頭車両に乗っていたが、何かが砕けるような凄まじい音がした。

運転手が通信用のマイクに「あっという間に人が飛び込んできた」と話した。

生を選ぶ人がいれば、死を選ぶ人がいる。

私達の現存在はつねに瀬戸際に置かれていると思わざるをえなかった。

受膏者

朝、私は珈琲を淹れると、パソコンの電源を点けた。毎週土曜日の10時半から開催される、Zoomによる聖書の読書会に参加するためだ。これは立教大学のチャペルが企画しているもので、もう2年以上お世話になっている。

今日のテキストの範囲は『マタイ傳福音書』28章1-10節。復活したキリストの姿を、使徒に先んじて、マグダラのマリアなどの女性たちが目撃した場面だ。

いろいろと思う所がある。まず、イエスの死後3日目に彼の墓を訪ねたのは、男性の使徒ではなく、女性たちだったということである。イエスの受難(処刑)を見届けたも女性であったし、復活したイエスに最初に再会したのも女性であった。その頃、男性の使徒たちは、ペテロのように「私は知らない」とイエスを否認して、方々に散って行った。

「キリスト」というギリシア語の語源は、ヘブライ語の「メシア」で、「救世主」ないし「受膏者」という意味がある。「香油を注がれし者」という意味である。『マタイ傳福音書』だと、26章にその記述がある。

イエス、ベタニアにて癩病人シモンの家に居給ふ時、ある女、石膏の壺に入りたる貴き香油を持ちて、近づき来り、食事の席に就き居給ふイエスの首に注げり1

『新約聖書』において、キリストはなぜか女性に香油を注がれるのである。私はそこにエロスを見る。イエスは神の子として生れ、この世で様々な奇蹟を演じたが、それは彼の本領ではなかった。イエスは女性に祝福されて、その愛の働きによって、初めてキリストになったのである2


  1. 『マタイ傳福音書』26章6-7節。
  2. ボーヴォワールの『第二の性』の表現をもじれば、「人はキリストとして生れるのではない。キリストになるのだ」。