報酬系の読書

いろいろと私の身の上を案じてくださる職場の先輩が「君の文章は硬い。しかも、何を言っているのか分からない」というご指摘をくれた。

学者アカデミシャンの文章はこれぐらい難解じゃないと勤まらねぇや」と、啖呵を切って居直ることもできた。だが、待てよ——。私の脳裏に一筋の疑問が浮かんだ。もしかして、私の文体は老化しているのではないか?

この頃は小説、エッセイなど、優しい、柔らかい文体で書かれた文学作品を読んでいなくて(しかし、それでも私は古語、漢語を多用した硬質な文体が好きだ)、***大学の教授が書いたような、折り目正しい、きちんとした論文、評論などを読んでいる。感覚では書かれていない、観念的な、概念で書かれた文章である。市井の文士が書いたのではない。尖塔に閉じこもる文学者が書いた文章である。これはたぶん、私の気質、私の資質の半分を占めていて、読むと頭がすっきりする、爽快な気持になる。もっとハッキリ言ってしまうと、頭が良くなったと錯覚する(実際、よくなっているのだろう)。私は試したことはないし、今後もその予定はないと、ここで断りを入れるが、衒学で難解な文章は覚醒剤に似ているのではないだろうか。それを読解、読破すると、脳内でドパミンなどの報酬系神経伝達物質が放出されていることは間違いない。

先日、小岩のバーで飲んでいたら、隣の飲み友達に「君はピエール瀧に似ている。あるいはピエール瀧ふうだ」と言われた。確かに瞼は重たい。顔は青白い。とまれ、私には物質依存の傾向があるのだろう。——「兼子くんは政治学に依存している。政治学に凭れ掛かっている」という、昔の学友の指摘をふと、夜更けに思い出したのだった。