力と愛の社会学

学生の頃は政治学を専攻していたので、権力とその最大の機関である国家については自ずと勉強していた。しかし、学校を出て、労働者1として、その日稼いだパンをそのまま口に運ぶような生活を続けていると、国家よりもむしろ、それが統治する社会の方に鋭く関心が向き始めてきた。特に文士ライターとして文章を書くことを志すようになってからは、社会とそこに生きる人達を書くことが自身の使命なすべきことのように思えてきた。人間を書くには文学が必要なように、社会を書くためには社会学が必要だ。人は歳を重ねることで、社会(世間)に対し、漠然たるイメージを抱き、それを若者に話したくなる衝動に駆られるけれど、社会の本当の姿、その本質については、そのような床屋談義、酒場談義で開明できるものではない。ドイツ語のBegriffは「概念」であると同時に「理解」するという意味であるが、そのレベルまで昇華しなければならない。

とは言うものの、私は社会学に不案内である。それは私の場合「社会を知らない」ことを意味する。今後、私が社会学を理解する仕方は、政治学を経由した社会学、文学を経由した社会学になるだろう。その際の鍵となる概念は、権力ちから恩寵あいである。これは私の人生の主題テーマと言っても過言ではない。結局、私は政治学と文学の魅力(魔力)から逃れられないのである。


  1. 社会人という言葉より、労働者という言葉の方が事態を表すのに正確なように思える。