力と愛

もっと本を読まなければ、と思う。『聖書』は大事だが、それだけでは創作を支えきれない。観念は重要だが、文学とくに小説は具体的に叙述しなければならない。

研究者と作家。その相違について、本格的に書いてみたいが、まだ機は熟していないようだ。しかし、同じ研究者志望でも、勉強が苦手な人は作家になる。だから、山田詠美の『ぼくは勉強はできない』は、実は否定の末の肯定の書なのだ。

私は大学院に行き、政治学を専攻したけれど、結局、政治学者にはなれなかった。しかし、卒業したあとも、政治学の勉強は止めなかった。それまでに文学にかぶれたけれど、私の専門は依然、政治学だと思っている。今では学問とは無縁な介護現場で働いているけれども、私の意識の片隅にはいつも政治学があった。文士ライターとして開業してからは、これで堂々と政治学ができるんだ、と思って喜んだ。私の政治学への執着は恋愛に似ている。

政治学小説を書けないか、と思う。幕末、明治、大正、昭和を舞台にしたい。私の信条として、キリスト教が伝道した時代がいい。自由主義と社会主義が勃興、対立する時代の中で、キリスト教が両者をいかに和解させたかを描きたい。

政治学は私のライフワークであり、その核心はキリスト教が占めている。私は研究者としてではなく、作家としてこの学問の素晴らしさを伝えたい。

政治学は力の学問だ。しかし、そこに愛がなければ、私達の国家と社会を解明することはできない。力と愛——これは私の生涯のテーマになるだろう。大学院で研究していた頃には分からなかったことだ。十年の歳月は無駄ではなかった。