酒徒と学徒

南海先生、性酷だ酒を嗜み、また酷だ政事を論ずることを好む。

『三酔人経綸問答』の作者、中江兆民はアルコール中毒を理由に国会議員を辞めたが、彼は晩年、喉頭癌に侵されるまで、終生、酒を飲み、政治を論じることを止めなかった。彼の職業は文人。政治学者ではない。——私の中に彼と同じ血、同じDNAが脈々と受け継がれているのを感じる。

いま、こうして原稿を書いている時でも、私はワインをちびちびっているのだが、近頃ではお茶を飲んでも、珈琲を飲んでも、いまいち元気になれない。だから酒に頼ることになるのだが、この気分の落ち込み様は内因性ではなく外因性ではないかと思える。要するに気鬱のせいではなく、酒毒のせいではないかと思うのだが、すると、私も中江兆民と同じ轍を踏むのかもしれない。歴史の中に己と似た人物を見つけると、旧友と再会したような懐かしさを覚えるが、その壮絶な運命を知ると慄然たる気持になる。

民主主義の涵養にはコーヒーハウスが主導的な役割を果たすのに対し、ビヤホールといえばナチスの溜場たまりばの印象がある。政治と珈琲の関係については先行研究がたくさんあるのだが、政治と酒の関係については管見にして知らない。キリストの最後の晩餐を待つまでもなく、宗教的秘義に酒は不可欠なくてはならないものであったが、政治はどうだったのだろう? おそらく古代の祭政一致の政事まつりごとでは御神酒は欠かせなかったが、のちにキリストは使徒たちに「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に返せ」と教えた。以後、政治と宗教は分裂し、それぞれ別々の道を歩み始めた。キリストの死と復活はそのメルクマールだったのである1


  1. しかして、キリスト教は古代宗教ではない。