起死回生

『山谷の基督』は死して復活した。企画は無事に生きている。「急がなくていいですよ」と言われたけれども、今月、今年は本腰を入れて研究すること。あるいは来年、再来年の発表になるかもしれないが、諦めずに完成させよ。

ゼミで報告した草稿をもとに、原稿をキリスト教系の出版社に持ち込みたい。開高健文学賞は純粋なルポルタージュを要求しているので、一から別の作品を書いた方がいいだろう。『山谷の基督』はルポなので文学に違いないのだが、理論を重視しているので、基本的に政治学の作品になるだろう。叙事ではなく、理論でなければ考えられないこと、伝えられないことがあるのだ。

衒学的ペダンチックにならないように」と忠告されているが、多分、私のこの性質は一生変わらないと思う。三つ子の魂百まで、ではないが、最も感受性が強い、学生時代に受けた薫陶は忘れられないのだ。たとえば、私は18の頃に読んだ『新約聖書』の思想が私の心の働きを規定していることに気づいて、キリスト者になった。同じく学生時代に研究していた政治学とその市民社会論は、卒業してもなお私の心に或る課題を残した。私は市民社会の継承者であると同時にその批判者である。ようやく、己の一生の問題と対決する時が来たのだ。