新しき人の矜持

汝らは既に舊き人とその行為とを脱ぎて、新しき人を著たればなり1

『山谷の基督社会』のゼミでの報告が危ぶまれ始めた。確かに現在の私の実力では、学会報告に相応しい、仮説-実証-結論のような、科学的調査は望むべくもないが、粗削りながらも修道院という市民社会の規範から逸れた組織を素描できると自負していた。私はけっして好んで、山谷という貧困地域を取材したいのではない。他人ひとの不幸を自分の蜜にしたい訳でもない。そうではなくて、修道院に体現される、日本の市民社会の規範2から敢えて外れたキリスト者の社会を描きたかったのである。私はそこに新しき人の可能性を見る。

このまま『山谷の基督社会』を水子にする訳にはいかないので、たとえ、ゼミでの報告が叶わなくなったとしても、最後まで書き上げて、その完成を見届けたい。カトリック系の『福音と社会』、新教系の『福音と世界』の編集部に原稿を持ち込むのもいいだろう。開高健ノンフィクション賞に応募することも辞さない。私にも文士ライターの矜持がある。


  1. 『コロサイ人への書』第3章。

  2. 論理、倫理、価値体系と言い換えてもいい。