収容所群島

昨夜は突然の雷雨に叩き起こされたので、安心して眠ることができなかった。

そもそもよく眠れないのは今に限った話ではない。今年の1月に躁鬱病の基本薬をアリピプラゾール(エビリファイ)に切り替えてからは、ぐっすり眠れたことがほとんどない。入眠して3時間くらい経つと目が醒めてしまう。この薬は抗鬱作用が強いので、その分、覚醒を促してしまうのかもしれない。しかし、そのために痼疾となっていた抑鬱が改善され、私は今、慢性的な軽躁状態で生活している。ときどき過度の浪費、散財をしてしまうという副作用があるが、総体的な活動時間は増えているから良しとするか。三十代の働きざかりに相応しい処方だ。

病気の自慢はこれくらいにして、そろそろ仕事ビジネスの話をしようか。

老人ホームの勤務は真面目に果たしている。私は福祉の仕事は良心的に、使命感をもってやっているつもりだが、早くも同僚に対して不満を抱き始めた。仕事の不満を他人ひとのせいにするな、という感じだが、この苛立ちの原因はけっこう根深いような気がする。もはや対症療法は限界に近づきつつある。あとは病巣を抉り出すしかない。転職し、業界、業種を変えるしかないのだろう。

私は夜勤を除けば、身体を動かして人のお世話をする介護の仕事は嫌いではないのだが1、いまいち環境に馴染みきれないのである。それは給与のことでもあるし、人材のことでもある。介護の職場で私と話が合う人は皆無に等しい。年長の人は同情と慈悲によって、年少の人は憧憬と好奇心によって、私と付き合ってくれるが、今、私が本当に必要としているのは、同年代の同性の同僚である。仕事と人生について本当に語り合える仇敵ライバルであり友達である。

この3年間、世間からの孤立と無理解によく堪えたと思う。矛盾しているが、それは良心ある人々の善意と、私の自己を恃みにする力の功徳である。私は収容所群島で独自の進化を遂げた。出版社などの情報産業に勤める人達とは違うかたちで、自身の作家としての資質を涵養することに努めた。書かない人/書けない人は書く人に成長した。その点、この3年間は私の人生にとって意義深い時期だった。持病の躁鬱病もほぼ寛解した。私は勇気と健康を取り戻した。——鉄の檻を出る時機が来たのだ。


  1. とはいえ、積極的に好きな訳ではないのだが、人は嫌いでなければ、その仕事に適性ありと見ていいだろう。