言葉の凝集力

とりあえずブログを毎日更新してみたが、文章の密度が明らかに低下した。文章に凝集力がない。普段、机の前で刻苦呻吟しているのは、この圧力を高めているのだと分かった。

「文学的」というのはそもそもどういう意味だろうか。文体スタイルに遊ぶ。修辞レトリックに遊ぶ。虚構フィクションに遊ぶ。いろいろな側面があるだろう。しかし、事務的な文章、新聞記事的な文章との決定的な違いは、なるべく複雑にすること、解釈の余地を拡げること、それによって、文章に含蓄を持たせる、深度を深くするのだろう。

文学を書くためには、独特の思考様式、心理状態が求められる。芸術と病気、就中、文学と病気の関連が認められるのはそのためである。短歌を書いていると分かるが、日常的、口語的な言語の慣習から外れた韻文を書くためには、ある種の憑依、トランス状態が必要である。日野啓三はそれを『書くことの秘儀』と言った。