CITY WRITER

バーテンさん


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ワンフィンガーでるもよし。ツーフィンガーでるもよし1

村松友視が1987年に出演したサントリーのCMの宣伝文コピーである。このCMにはいくつかのヴァリエーションがあって、割烹、屋台、バーを舞台にしているが、ここではバーで酒を飲むことについての彼の感想を聞いてみる。

バーで、バーテンさんが居て、自分が居るでしょう。他のお客さんが居るでしょう。この間に少しこう、何と言うんですかね、かすかな殺気、エレガントな殺気、そんなのが成立していてね。その中で飲んでいるような気がするね2

村松は飲食店ではカウンター席でないと落ち着かないという性癖があり、その点、私と共通しているのだが(一人でテーブル席を独占するのは居心地が良くないし、その情景は一人身にこたえるものがある)、彼はバーテンダーに関しても一家言持っている。『コモ・レ・バ?』誌上の宇野亜喜良との対談で次のように話す。

当時はいわゆるホテルのバーなどのちゃんとしたバーテンダーとは違う意味で、用心棒と人生相談と行儀の悪い客なんかを追い出す係として、そういう役まわりのバーテンさんっていうのがいました。[…]バーテンさんという言葉は、馬鹿にしている、軽んじているのではなくて実はバーテンダーを超えた存在の表現なんですね。バーテンダー以上の存在、そういう人だったんです3

私はその後に続く、「ウイスキーは結構潔い酒だと思いますね」「昔の悪場所といわれるような酒場なんてとこにいてウイスキーを飲んでいる自分というのは悪くない」という見解にも賛同する。彼は作家になる前、編集者の頃から文壇きっての武闘派と言われており、そのためか話す言葉に凄味がある。低くくぐもった声、長く伸ばした揉み上げは、往年の吉行淳之介に似ている。悪漢の気品がある。

なお、「バーテン」という呼称に関しては異論がある。漫画『バーテンダー』の原作者 城アラキは次のように語る。

そもそもこの「バーテン」という呼び名は、バーテンダーを略した言葉ではない。バーテンダーを「フーテン」というフラフラして仕事に腰が据わらぬダメ人間に重ねて揶揄した言葉だ。今ならプー太郎という呼び名に近い。差別用語と言ってもいいくらいだ4

彼の語ることは正論だし、実際、いま酒場で「バーテン」と呼ぶのは憚られるものがある。常識的な客であれば「バーテンダー」と正式に呼称するに違いない。しかし、私は「バーテンさん」と親しみを込めて語る、村松の肩を持ちたい気持がある。板前を「板さん」と呼ぶ感覚に近いのではないだろうか。

ライターさん

酒場遊びはほどほどにして、そろそろ書斎ないし編集室に戻ろう。

出版業界ないしWEB業界で「ライター」という言葉は独特の意味がある。文字どおり、書く人、という意味だが、著名記事を書ければ御の字で、大部分は匿名のビジネスライクな記事を書いている。ゴーストライターを務めることもある。英語の"Writer"は「著作家、作家、文筆家、文士」など堂々とした意味があるが、日本の「ライター」は出版業界で日蔭仕事に従事する、吹けば飛ぶような存在である。残念なことに、編集者もそのように見ているフシがある。日本のライターは作家ではないのだ。むしろ、作家性、作家としての個性を押し殺した(あるいは捨て去った)売文業者である。私が「ライター」という言葉を避けて、しぶしぶ、もごもごと口ごもりながら「ドキュメンタリスト」と言うのはそのためだ。どちらも売文業者に違いないけれども。

しかし、「ライター」という言葉も捨てがたいのではないか。「バーテンさん」にならって「ライターさん」と呼んでみればいい。親しみが湧くだろう。芭蕉は俳諧の要諦は「かろみ」と喝破したけれど、似た趣きが感じられないだろうか(風に吹き飛ばされるかもしれないけれど)。文士ドキュメンタリストというのは私の当て字である5。ジャーナリストでもないこの言葉に私は売文業者以上の意味を込めている。この気概は大事にしたい。しかし同時に、私はこの街で文士ライターとして暮らしたい。『シティーハンター』ならぬ街場文士シティーライターである。


  1. 村松友視、1987年、サントリー・オールド CM。

  2. 同上。

  3. 村松友視、宇野亜喜良「ウイスキーという郷愁」『コモ・レ・バ?』

  4. 城アラキ『バーテンダーの流儀』(集英社、集英社新書、2020年)78頁。

  5. ルビ遊びは私の道楽である。