ドヤ街に歌えば 4

大倉屋のけんちん汁

昨夜、酒を飲み過ぎたので塩分が不足気味である。山谷のけんちん汁専門店 大倉屋で一杯頂く。270円也。この日、同店を訪れるのは3回目。私の顔を覚えてくれたのか、店主はカウンターに置いてあった、鮭おにぎりを一個、私に手渡してくれた。大倉屋とその店主については、ホテル 紫峰の帳場を務める、映像作家の桑原豊さんがすでに取材されている。店主は私が桑原さんの知り合いということで、先日、訪れた際は、スティック・コーヒーを一包ごちそうしてくれた。

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山谷に定期的に来るようになって以来、私は機会を見つけて、よく食べるようになった。私はけっしてグルメではない。むしろ、食に関しては質素な方である(その代わり、酒に糸目は付けない、と言われているwww)。毎日、定期的に炊き出しが行われるこの街では、食事は虚飾のない、人間を支える基本的な事実なのかもしれない。この街に社会というものがあるとすれば、それは金ではなく、食で作られているのではないか。少なくとも、他の街に比べてその比重が遥かに高いのではないか。この仮説は今後、継続して考えたい。この街に取材を重ねるにつれ、その回答は次第に明瞭になってくるだろう。大切なのは足を運ぶこと。そして、逃げないことだ。

けんちん汁とおにぎりで腹を満たしたあとは、カトリックの修道院 山谷の家を訪れた。11時に隅田川 白鬚橋のたもとで炊き出しをやるので、その取材が主な目的だった。しかし、これは私の予想を大きく越えて展開することになる。

私が訪れた10時はすでに炊き出しのカレーライスが出来上がり、パックに小分けにされ、自動車に積まれていた。私が修道院に入ると、修道士の広瀬さんが目くばせをしてくれた。私が山谷に始めてきた日に、この街を案内してくれた人だ。広瀬さんは私に近づくと、「会わせたい人がいる」と言って、近くの眼鏡を掛けた中年の男性を引き合わせてくれた。斉木さん——愛称「ちんねん」。私と同じ聖公会の信徒である。ひととおり自己紹介を終えると、斉木さんは「父と子と精霊の御名によって、洗礼準備中の兼子さんに祝福がありますように」と祈りを捧げてくれた。私も「斉木さんと私達に主の平和がありますように」と祈った。山谷の家はカトリックの修道院なので、聖心女学院の卒業生など、当然、カトリックの信徒が多い。しかし、私と斉木さんのように、聖公会の信徒や、そもそもキリスト者でない方、はたまた仏教のお坊さんも手伝いに来るそうだ。

ご年配の方はカレーライスを積んだ自動車に便乗し、私たち若きは自転車と徒歩で白鬚橋に向かった。

橋のたもとでは、すでにドヤに住む人、あるいは野宿している人々が列をなして待っていた。私はささやかであるが、カレーライスの配布のお手伝いをした(むしろ、体験をさせてもらったと言うべきだ)。私は努めて「ありがとうございます」と言って、彼らに弁当を手渡した。そして、食べ終わったプラスチックのパックを回収して廻った。

「土曜日の時間の都合がつく日に、早起きしてお手伝いに来ます」

私は広瀬さんと斉木さんにそう告げると、他の人々よりもひと足先にその場を後にした。午後、松戸の有料老人ホームに賃労働をしに行くためだ。

率直に言おう、私は今まで取材を舐めていた。ビジネスライクに、効率よく、予定をパズルのように組み合わせて、記者ライターであることを免罪符にして、相手に取材を試みていた。これが私が読売新聞のミニコミ紙の記者をしていた頃に身に着けた取材の仕方であった。しかし、このような言葉と光景を掠め取るようなやり方では、いつまでも世界と人間の深奥は分からないのだ。人の心を開くよりも先に、私自身が悟らなければならない。そのために出来ることがあるはずだ。

人々とともに手を動かし、歩き、汗を流すことで、ようやく見えてくる真実がある。聞こえてくる言葉がある。社会学における参与観察に近いのかもしれないが、私はそれをも越えて、参加型/挺身型の取材を自身のスタイルにしたい。山谷の炊き出しは私にそのことを教えてくれた。

筆者と「ちんねん」こと斉木さん