昨夜、酒を飲み過ぎたので塩分が不足気味である。山谷のけんちん汁専門店 大倉屋で一杯頂く。270円也。この日、同店を訪れるのは3回目。私の顔を覚えてくれたのか、店主はカウンターに置いてあった、鮭おにぎりを一個、私に手渡してくれた。大倉屋とその店主については、ホテル 紫峰の帳場を務める、映像作家の桑原豊さんがすでに取材されている。店主は私が桑原さんの知り合いということで、先日、訪れた際は、スティック・コーヒーを一包ごちそうしてくれた。
山谷に定期的に来るようになって以来、私は機会を見つけて、よく食べるようになった。私はけっしてグルメではない。むしろ、食に関しては質素な方である(その代わり、酒に糸目は付けない、と言われているwww)。毎日、定期的に炊き出しが行われるこの街では、食事は虚飾のない、人間を支える基本的な事実なのかもしれない。この街に社会というものがあるとすれば、それは金ではなく、食で作られているのではないか。少なくとも、他の街に比べてその比重が遥かに高いのではないか。この仮説は今後、継続して考えたい。この街に取材を重ねるにつれ、その回答は次第に明瞭になってくるだろう。大切なのは足を運ぶこと。そして、逃げないことだ。
けんちん汁とおにぎりで腹を満たしたあとは、カトリックの修道院 山谷の家を訪れた。11時に隅田川 白鬚橋のたもとで炊き出しをやるので、その取材が主な目的だった。しかし、これは私の予想を大きく越えて展開することになる。
私が訪れた10時はすでに炊き出しのカレーライスが出来上がり、パックに小分けにされ、自動車に積まれていた。私が修道院に入ると、修道士の広瀬さんが目くばせをしてくれた。私が山谷に始めてきた日に、この街を案内してくれた人だ。広瀬さんは私に近づくと、「会わせたい人がいる」と言って、近くの眼鏡を掛けた中年の男性を引き合わせてくれた。斉木さん——愛称「ちんねん」。私と同じ聖公会の信徒である。ひととおり自己紹介を終えると、斉木さんは「父と子と精霊の御名によって、洗礼準備中の兼子さんに祝福がありますように」と祈りを捧げてくれた。私も「斉木さんと私達に主の平和がありますように」と祈った。山谷の家はカトリックの修道院なので、聖心女学院の卒業生など、当然、カトリックの信徒が多い。しかし、私と斉木さんのように、聖公会の信徒や、そもそもキリスト者でない方、はたまた仏教のお坊さんも手伝いに来るそうだ。
ご年配の方はカレーライスを積んだ自動車に便乗し、私たち若きは自転車と徒歩で白鬚橋に向かった。
橋のたもとでは、すでにドヤに住む人、あるいは野宿している人々が列をなして待っていた。私はささやかであるが、カレーライスの配布のお手伝いをした(むしろ、体験をさせてもらったと言うべきだ)。私は努めて「ありがとうございます」と言って、彼らに弁当を手渡した。そして、食べ終わったプラスチックのパックを回収して廻った。
「土曜日の時間の都合がつく日に、早起きしてお手伝いに来ます」
私は広瀬さんと斉木さんにそう告げると、他の人々よりもひと足先にその場を後にした。午後、松戸の有料老人ホームに賃労働をしに行くためだ。
率直に言おう、私は今まで取材を舐めていた。ビジネスライクに、効率よく、予定をパズルのように組み合わせて、
人々とともに手を動かし、歩き、汗を流すことで、ようやく見えてくる真実がある。聞こえてくる言葉がある。社会学における参与観察に近いのかもしれないが、私はそれをも越えて、参加型/挺身型の取材を自身のスタイルにしたい。山谷の炊き出しは私にそのことを教えてくれた。