心配ないからね 君の想いが
誰かにとどく 明日がきっとある
どんなに困難で くじけそうでも
信じることを 決してやめないで
KAN「愛は勝つ」
上原隆の名前を知ったのは、肥沼和之『フリーライターとして稼いでいく方法、教えます。』を読んだことがきっかけだった。Amazonで検索すると、十数冊の著書が出てきた(けっして多作な方ではないらしい)。その中で最も目に留まったのは、『友がみな我よりえらく見える日は』。啄木の歌1を題に取った本書は、今の私の気分にマッチしているように思えた。特にこの感覚(劣等感という)は、20代後半に派遣社員をしていた頃、30代前半から介護職をしていた頃、そして、個人事業主になった現在が最も峻烈に苛まれていた。この
本書は15章で構成されていて、著者が取材相手にインタビューする、いわゆるルポルタージュの形式で書かれている。15人の人生模様が綴られる訳だが、一貫したテーマは孤独、ないし一人、という事実である。上原は「あとがき」で次のように書いている。
劣等感にさいなまれ、自尊心が危機におちいった時、私はノートに向かう。経験したことをちくいち再現する。すると、彼我の違いがハッキリする。彼になくて我にある良いところを探す。ひとつでも二つでも三つでも。そうやって、私は自尊心を回復してきた。
他人はどのようにして自尊心を回復するのだろうか?
人が傷つき、自尊心を回復しようともがいている時、私の心は強く共鳴する2。
本書で最も感心したのは、「ホームレス」の章である。
片山は陽気になっている。
「目標を持って、自分が楽しければいいと思っている」片山がいう。
「そういう考えはいつ頃からもっているの?」私が聞いた。
「ホームレスになってからだね」
「その前は違った?」
「自分より他人を助けなくちゃいけないと思っていた。いまは、他人よりも、まず自分を助ける」
後輩を思って上司を殴り、退職した。アパートにやってくる友達を断れなくて住まいを失った。人の良さが彼を路上生活者にしたのかもしれない。いま、片山は自分を大切にしようと考えはじめている。
「このタバコあげるよ」私は彼にタバコを渡した。
「ありがとう」片山はタバコの封を切り、箱から一本抜き出すと100円ライターで火をつけ、深々と吸った。
彼はタバコの箱を自分のポケットにしまわずに、彼と私のちょうど中間の位置に置いた3。
今では私もいっぱしの喫煙者なので、片山のこの所作は理解できる。君と我、どちらかがタバコを切らしている時、二人のちょうど中間地点に置くのだ。
本書のルポルタージュは骨太ではない。著者は凄惨な戦場に飛び込んだりはしない。豊かで貧しい都会の雑踏である。上原の文体は控え目かつ簡潔で、街頭で一人、気丈に生きる人々のひとすじの悲しみと喜びを捉えている。
本書の単行本の帯文は、本文中に引用された、KANの「愛は勝つ」の一節から採っている。全編にわたって歌が聞える。人は危機に直面し、それでも自身を立て直す時、歌をうたうのかもしれない。私は普段、本の帯はじゃまなので、捨ててしまうのだが、この帯は大切にとってある。そして、折に触れて眺めて、口ずさんでいる。