おそらく、私に語学の才能はない。小学生の頃は国語で零点を取ったし、学生時代は一貫して英語の点数が低かった。ドイツ語もいまだにものになっていない。日本語、なかんずく、古文も言語の一種に違いないから、これも例外ではない。知識と情熱のある良い先生に付いたが、芽が出なかった。私が本格的に言語に関心を持ったのは、すべての学業を終えた後である。
短歌を書き始めたことが大きい。学生の頃から詩(自由詩)には親しんでいたけど、実作において、私はなぜか短歌という、2011年の当時としてはややマイナーな短詩型を選んだ。文芸に限らず、
私はかつて、塔という結社に所属しており、その創始者 高安国世がリルケの研究者であると同時に歌人であったから、短歌を始めた。こう説明すれば簡単かもしれないが、私が短歌を始めた理由、短歌に執する動機は、私の自意識のもう少し深い所にあるのかもしれない。それは私の衒学趣味である。それは私の虚栄心という浅薄な感情に根差しているけれど、趣味/嗜好というものは、否定しがたく、御しがたい、遂には度を越すのである。むしろ、それが趣味の趣味たる証左である。
私は文語を読み書きすることで、日常の平凡な意識を越えたいのかもしれない。それゆえ、私は高踏派なのだろう。民主主義者には違いないけれど、どこかお高く留まっている。お話し好き——。普段、私と接している人達はそんな感想を抱くだろう。しかし、そこに一抹の真理がなければ、話す価値もなければ聞く価値もはないと思う。日常会話は私のもっとも厭う所である。
短歌は私のプライドを賭けた闘いなのかもしれない。
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短歌と俳句の世界では、句と歌は賜物と言われる。↩