自転車野郎

TREK FX1

休日、自転車のタイヤに空気を入れ、フレームを磨き、ギアに油を差し、サドルの高さを調整した。この車種はTREK FX1というやつで、私が小岩に引っ越してきた頃に購入したから、かれこれ6年くらい乗っているけれども、修理に継ぐ修理を施して、今でも現役で駆動している。今まで経験した一番大きな事故は、地面から突き出しているポールに激突し、一時、廃車寸前まで追い込まれたけれど、近所に自転車に対する技術と愛情は他の追従を許さない自転車屋 THANKS CYCLE LABのお世話になっているので、事なきを得ている。

思えば、私は首都圏に生まれた人なので、小学生から大学院生に至るまで一貫して自転車に乗り続けてきた。地方に住んでいる人は自転車を卒業して、自動車に乗り換えることは大人になることの証左なのかもしれないが、私にはその観念はまったくない。幸か不幸か、偶然か必然か、私は今まで自動車の要らない都市まちに住み続けてきた。土地ではない、都市である。移動は徒歩、自転車、電車などの公共交通機関が基本である。遠出する際はせいぜい原付があれば事足りてきた。都市は自然の脅威を知らない人工的な世界である。東京は私の故郷ホームタウンである。私が東京を呪詛しつつも、そこに住み続けている理由はここにある。私は今後他県に住むにしても、都市部の駅に近い所でなければ生きていけないだろう。私は郊外に生まれた人間であるが、遂にシティー・ボーイとして自己を形成した。

煎じ詰めて言えば、私は友達とお喋りしながら歩いたり、気ままに(無責任に)自転車を乗り回すことが好きなのだ。私は1年半、千葉県松戸市に勤務していたが、そこは予想以上に自動車社会だった。私の出る幕はなかった。それは言い過ぎかもしれないが、少なくとも私の活動する余地はなかった。

人は行くべき所に行き、住むべき所に住む。土地が、あるいは都市が、その人の性格を形成するのは、あながち間違った説ではない。

和食と洋酒

大人、あるいは中年、と言うべきだろうか。ともかくその年代になってから、食は和食、酒は洋酒と好みが決まるようになった。洋酒が好きなのはハイカラ趣味などではなく(もちろん、その要素も否定できないが)、洋酒は酒徒のすべての需要をカバーできる所に理由がある。お腹がすいた時、栄養を摂りたい時はビールを飲むし、ビタミン、ポリフェノールなどの抗酸化物質を摂りたい時はワインを飲む。そして、不安と恐怖を鎮めて眠りに就きたい時はジンないしウィスキーをストレートで飲む。アルコールの種類と効能でいえば、洋酒の右に出るものはない。イギリス、大英帝国は料理にあまり手間暇を掛けなかったけれど(その代わりフィッシュ・アンド・チップスなど簡便なスナックが美味しく楽しい)、酒については探求を惜しむことがなかった。複数のボタニカルを調合した薬酒 ジンと、樽の中で何年、何十年と寝かせた古酒 ウイスキーは英国の偉大なる発明である。

私は洋酒を賛美して止むことを知らないが、食は和食を好む。しかも、蕎麦、麦とろ飯、醤油拉麺(支那蕎麦と書くと怒られるのだろうか)など、あっさりした、濃い味付けのものを好む。完全に酒飲み御用達の食事である。味が濃い方が好みなのは、肉体労働に従事しているせいであるが、アルコールで失った塩分を補うためでもある。小説の神様 志賀直哉は関西に比べて、関東の濃い味付けは「活動する人」の味と言った。よく食べ、よく飲み、よく働く。私もそんな人になりたい。

と、そんなことを、夏バテに苦しんで、食欲の湧かない夜に思ったのでした。

ねごとリバイバル


www.youtube.com

ねごと、という女性4人組のバンドがある。あった、と言うべきかもしれないが、2019年に解散してしまった後も、私の中で現在進行形の輝きを放っている。

私の手もとにある盤は、「sharp #」と「空も飛べるはず/ALL RIGHT」。いずれもシングルである。私は普段、気に入ったバンドがあれば、入門用としてベスト盤を買ってしまうのだが、ねごとはカップリングの曲に秀歌が多いので、あえてシングルを買い求めた次第である。スピッツのカバーを含む「空も飛べるはず/ALL RIGHT」は次回にまわすとして、今回は「sharp #」を紹介したい1

「sharp #」は『ガンダムAGE』の第2期OPとして知ったのだが、さすが、ねごとである。アニメの主題歌として、その世界観をきちんと踏襲しつつも、独立した一曲の歌曲として仕上がっている。

愛じゃない 触れない
ただ儚い願いでした
きみだけ それだけ
見つめていた光でした

『ガンダムAGE』第2期は、家系の血筋に反して、パイロットの適性がないと機械的に判断された主人公 アセムが、幾多の戦いをへて、スーパーパイロットに覚醒していく物語である。少年の成長譚は、歌詞の以下の一節に刻まれている。

いま運命をはみ出して
ストロボの時がきみをさらう前にさ
もっと速く駆け抜けてゆく
あの星になりたい

「sharp #」の歌詞の冒頭は「愛じゃない」で始まる。しかし、この歌の結末は、まるで精巧なエンタメ小説のようにどんでんがえしで結ばれるのである。

足跡なくして行け
ありきたりでもいいよ
正体は愛でいよう

態度や口吻は淡白ドライ虚無ニヒルを気取っても、私の本質はかのようにありたい。

sharp ♯

sharp ♯

  • アーティスト:ねごと
  • Ki/oon Sony キューン ソニー
Amazon


  1. はてなブログにおける歌詞の引用は、株式会社はてながJASRACと利用許諾契約を締結しているので問題ありません。

市民社会と下層社会

今日は施設、老人ホームの勤務は休み。その代わり、訪問介護に2件行ってきた。いずれも買物代行である。

あまり仕事の愚痴は言いたくないし、もともとその柄ではないけれど、介護福祉士の有資格者を買物代行などの生活援助の業務に当てるのはいかがなものかと思う。もっとハッキリ言ってしまうと、三十代の働き盛りの男性介護福祉士を、掃除、買物など、介護の腕の覚えがない、主婦でもできるような家事労働に従事させるのは、その事業所の見識が疑われるのではないだろうか。7月に資格取得の祝金を支給されるし、社員の方々に対する義理もあるので、もう少し頑張りたいが、正直、今年いっぱいまで勤め上げるのは難しいと思う。

閑話休題それはさておき。訪問介護、とくに買物代行などを引き受けていると、時々、UberEatsのあんちゃんになった気分だ、と自嘲する瞬間がある。UberEatsのような運送業はスマホひとつで、仕事を発注/受注できるので、安心、清潔、効率的で、時代の先端を行っているように見えるが、じつはこのような零細な賃仕事は、戦前、明治の頃から存在していたのだ。

横山源之助『日本の下層社会』。これを読むと、昔から運送業は伝統的に、細民、零民、貧民に担われていたことが分かる。私は昔(この記憶も遠くなりけり)、文芸関係の出版社に編集者として努めていた頃があったが、そこで、庶務/経理を担当していたおばちゃんが、職業に貴賤はないと言いながら、毎日、配達/集荷に来る宅急便の営業の方に辛く当たっていた。「あなたもいずれ分かると思うけど、こういう職業の人には強く言わないと駄目なのよ」結局、そのおばちゃんは私と喧嘩して、辞めてしまったので、その言が正しかったのかは杳として分からない。しかし、ひとつだけ確実に言えることは、勝ったのは私だ。

私は大学生の頃は政治学を勉強していて、そこではいわゆる市民派と呼ばれる学派に身を置いていた。市民派とは、革命ないし改革の主体は政府ではなく市民であり、彼らが構成する市民社会こそがその場所であるということだ。私は市民派であると言えるし、そうでないとも言える。いずれにせよ、私は今でもこの政治学を勉強しているし、この学問に執着している理由は、その点の矛盾にありそうだ。私は大学出たてのホヤホヤの頃は生粋の市民派であった。否、それは正しくない。東日本大震災の年に卒業した私は東京の人間の傲慢さに気づいていた。市民論、市民社会論は東京都民を模範にして作られているから、階級意識に敏感な私は、その認識の存在拘束性に気づかないはずがない。

結論を言うと、私は市民社会から下層社会に没落した。先に訪問介護とUberEatsの例を上げたように、現代の世間は、兎角なんでもスマートに見せているけれども、その実態は、明治時代の細民、零民、貧民の暮らしの本質と変わらないのである。確かに高度経済成長を経て、生産力は上がった。モノは豊かになった。しかし、日本の下層社会は今なお存在するのである。私は精神疾患と飲酒癖があるので、人生の歯車が狂えば、いつでもドヤの住人になってもおかしくないのである。最後に明治時代の工場労働の報告を引いて終わる。

世話役もしくは助役は職工より出づるを以て、常に職工の状況を審かにし、職工の代弁者となりて工場長に時々の便宜を訴うべきはずなるに、実際はしからずして、かえりて工場長の意を迎うるに力めて職工の事情伝えざるは多きが如し1

現代の施設に勤むる介護労働者の実態に一脈通ずる所ありなん。


  1. 横山源之助『日本の下層社会』(岩波書店、岩波文庫、1985年)271頁。

我、養生す

躁鬱病の基本薬として、アリピプラゾール(エビリファイ)を処方されて以来、毎日、軽躁状態で過ごしている。そのために深刻な鬱状態に落ち込むことは少なくなったけれど、飲酒量はとみに増加し、金遣いは荒くなったような気がする。私は放蕩という言葉を観念としてではなく、経験として理解するようになった。

節約するのではなく、養生するために、酒と夜遊びを控えたい。一応、精神障害者であり、福祉の受給者なので、体調を整えることは社会的に要請されているはずだ。軽率な行動は取るべきではない。健康に留意しつつ、末永く仕事と勉強に取り組みたい。

ドヤ街に歌えば 4

大倉屋のけんちん汁

昨夜、酒を飲み過ぎたので塩分が不足気味である。山谷のけんちん汁専門店 大倉屋で一杯頂く。270円也。この日、同店を訪れるのは3回目。私の顔を覚えてくれたのか、店主はカウンターに置いてあった、鮭おにぎりを一個、私に手渡してくれた。大倉屋とその店主については、ホテル 紫峰の帳場を務める、映像作家の桑原豊さんがすでに取材されている。店主は私が桑原さんの知り合いということで、先日、訪れた際は、スティック・コーヒーを一包ごちそうしてくれた。

creators.yahoo.co.jp

山谷に定期的に来るようになって以来、私は機会を見つけて、よく食べるようになった。私はけっしてグルメではない。むしろ、食に関しては質素な方である(その代わり、酒に糸目は付けない、と言われているwww)。毎日、定期的に炊き出しが行われるこの街では、食事は虚飾のない、人間を支える基本的な事実なのかもしれない。この街に社会というものがあるとすれば、それは金ではなく、食で作られているのではないか。少なくとも、他の街に比べてその比重が遥かに高いのではないか。この仮説は今後、継続して考えたい。この街に取材を重ねるにつれ、その回答は次第に明瞭になってくるだろう。大切なのは足を運ぶこと。そして、逃げないことだ。

けんちん汁とおにぎりで腹を満たしたあとは、カトリックの修道院 山谷の家を訪れた。11時に隅田川 白鬚橋のたもとで炊き出しをやるので、その取材が主な目的だった。しかし、これは私の予想を大きく越えて展開することになる。

私が訪れた10時はすでに炊き出しのカレーライスが出来上がり、パックに小分けにされ、自動車に積まれていた。私が修道院に入ると、修道士の広瀬さんが目くばせをしてくれた。私が山谷に始めてきた日に、この街を案内してくれた人だ。広瀬さんは私に近づくと、「会わせたい人がいる」と言って、近くの眼鏡を掛けた中年の男性を引き合わせてくれた。斉木さん——愛称「ちんねん」。私と同じ聖公会の信徒である。ひととおり自己紹介を終えると、斉木さんは「父と子と精霊の御名によって、洗礼準備中の兼子さんに祝福がありますように」と祈りを捧げてくれた。私も「斉木さんと私達に主の平和がありますように」と祈った。山谷の家はカトリックの修道院なので、聖心女学院の卒業生など、当然、カトリックの信徒が多い。しかし、私と斉木さんのように、聖公会の信徒や、そもそもキリスト者でない方、はたまた仏教のお坊さんも手伝いに来るそうだ。

ご年配の方はカレーライスを積んだ自動車に便乗し、私たち若きは自転車と徒歩で白鬚橋に向かった。

橋のたもとでは、すでにドヤに住む人、あるいは野宿している人々が列をなして待っていた。私はささやかであるが、カレーライスの配布のお手伝いをした(むしろ、体験をさせてもらったと言うべきだ)。私は努めて「ありがとうございます」と言って、彼らに弁当を手渡した。そして、食べ終わったプラスチックのパックを回収して廻った。

「土曜日の時間の都合がつく日に、早起きしてお手伝いに来ます」

私は広瀬さんと斉木さんにそう告げると、他の人々よりもひと足先にその場を後にした。午後、松戸の有料老人ホームに賃労働をしに行くためだ。

率直に言おう、私は今まで取材を舐めていた。ビジネスライクに、効率よく、予定をパズルのように組み合わせて、記者ライターであることを免罪符にして、相手に取材を試みていた。これが私が読売新聞のミニコミ紙の記者をしていた頃に身に着けた取材の仕方であった。しかし、このような言葉と光景を掠め取るようなやり方では、いつまでも世界と人間の深奥は分からないのだ。人の心を開くよりも先に、私自身が悟らなければならない。そのために出来ることがあるはずだ。

人々とともに手を動かし、歩き、汗を流すことで、ようやく見えてくる真実がある。聞こえてくる言葉がある。社会学における参与観察に近いのかもしれないが、私はそれをも越えて、参加型/挺身型の取材を自身のスタイルにしたい。山谷の炊き出しは私にそのことを教えてくれた。

筆者と「ちんねん」こと斉木さん

繰り返し人生

洗濯物が洗い終わるまで、昨夜、起稿した短歌2首を推敲する。記憶を触媒にして、ほどよく情感を盛り込むことができた、自分でも納得のできる出来だ。来年1月に短歌結社 塔に復帰する予定なので、今から歌稿を書きためておく。

本日、11時にカトリック教会が山谷 白髭橋でカレーライスの炊き出しをやるので取材に行く。教会関係の調査は7月中にけりをつけたい。その後、労働組合とNPO法人の調査も本格的に着手しなければならない。意外にも宗教的な教会よりも、世俗的な結社 NPO法人の方が外部の人間に対して、ガードが固い印象がある。教会はあらゆる悩める衆生に対して門戸を開いているが、一方、NPOは私企業の印象がある。

取材の後は、松戸の老人ホームで深夜まで肉体労働をしなければならない。執筆、読書(取材)、労働——。この繰り返しが私の人生だ。