新しき人の矜持

汝らは既に舊き人とその行為とを脱ぎて、新しき人を著たればなり1

『山谷の基督社会』のゼミでの報告が危ぶまれ始めた。確かに現在の私の実力では、学会報告に相応しい、仮説-実証-結論のような、科学的調査は望むべくもないが、粗削りながらも修道院という市民社会の規範から逸れた組織を素描できると自負していた。私はけっして好んで、山谷という貧困地域を取材したいのではない。他人ひとの不幸を自分の蜜にしたい訳でもない。そうではなくて、修道院に体現される、日本の市民社会の規範2から敢えて外れたキリスト者の社会を描きたかったのである。私はそこに新しき人の可能性を見る。

このまま『山谷の基督社会』を水子にする訳にはいかないので、たとえ、ゼミでの報告が叶わなくなったとしても、最後まで書き上げて、その完成を見届けたい。カトリック系の『福音と社会』、新教系の『福音と世界』の編集部に原稿を持ち込むのもいいだろう。開高健ノンフィクション賞に応募することも辞さない。私にも文士ライターの矜持がある。


  1. 『コロサイ人への書』第3章。

  2. 論理、倫理、価値体系と言い換えてもいい。

収容所群島

昨夜は突然の雷雨に叩き起こされたので、安心して眠ることができなかった。

そもそもよく眠れないのは今に限った話ではない。今年の1月に躁鬱病の基本薬をアリピプラゾール(エビリファイ)に切り替えてからは、ぐっすり眠れたことがほとんどない。入眠して3時間くらい経つと目が醒めてしまう。この薬は抗鬱作用が強いので、その分、覚醒を促してしまうのかもしれない。しかし、そのために痼疾となっていた抑鬱が改善され、私は今、慢性的な軽躁状態で生活している。ときどき過度の浪費、散財をしてしまうという副作用があるが、総体的な活動時間は増えているから良しとするか。三十代の働きざかりに相応しい処方だ。

病気の自慢はこれくらいにして、そろそろ仕事ビジネスの話をしようか。

老人ホームの勤務は真面目に果たしている。私は福祉の仕事は良心的に、使命感をもってやっているつもりだが、早くも同僚に対して不満を抱き始めた。仕事の不満を他人ひとのせいにするな、という感じだが、この苛立ちの原因はけっこう根深いような気がする。もはや対症療法は限界に近づきつつある。あとは病巣を抉り出すしかない。転職し、業界、業種を変えるしかないのだろう。

私は夜勤を除けば、身体を動かして人のお世話をする介護の仕事は嫌いではないのだが1、いまいち環境に馴染みきれないのである。それは給与のことでもあるし、人材のことでもある。介護の職場で私と話が合う人は皆無に等しい。年長の人は同情と慈悲によって、年少の人は憧憬と好奇心によって、私と付き合ってくれるが、今、私が本当に必要としているのは、同年代の同性の同僚である。仕事と人生について本当に語り合える仇敵ライバルであり友達である。

この3年間、世間からの孤立と無理解によく堪えたと思う。矛盾しているが、それは良心ある人々の善意と、私の自己を恃みにする力の功徳である。私は収容所群島で独自の進化を遂げた。出版社などの情報産業に勤める人達とは違うかたちで、自身の作家としての資質を涵養することに努めた。書かない人/書けない人は書く人に成長した。その点、この3年間は私の人生にとって意義深い時期だった。持病の躁鬱病もほぼ寛解した。私は勇気と健康を取り戻した。——鉄の檻を出る時機が来たのだ。


  1. とはいえ、積極的に好きな訳ではないのだが、人は嫌いでなければ、その仕事に適性ありと見ていいだろう。

敵は市民社会

『山谷の基督キリスト社会』に苦戦している。カトリック修道院の炊き出しのルポに過ぎないのだが、全体の構成で理論的な所を重んじているので、そこで文献を渉猟して身動きができない状態になっている。8月はコロナのために現地を探訪できなかったことも大きい。

ルポに理論なんか要らないじゃないか、と思われるかもしれないが、それには相当の理由がある。

理性と感性

まず、私は本質的に思想好き、理論好きである。感じたこと、考えたことを思想ないし理論まで昇華させないと気が済まないのである。昨日、この点について、ヴァイオリニストと議論したのだが、私の理論偏重は、他人を知識で圧倒したい、権力欲の一種である、それはすなわち、己の自信のなさの裏返しである、と指摘を受けた1。それは正しい。しかも、なお悪いことに、私の理性偏重の傾向は私の感性を犠牲にしているかもしれないのだ。

意外に思われるかもしれないが、私は学生の頃から感性の人と見られていた。「君は感覚は鋭い。しかし、努力が足りない」と先生に言われた。私にも創作の経験があるから分かるが、感性(感覚)だけでは作品を完成させることはできないのである。なんとなく理解している状態から、確固たる確信に変わらなければ、創作活動全体を支えきることはできないのである。感性の人は幼児に似ている。それは幾多の経験を経て、理性の人すなわち大人に成長しなければならないのだ。……と、大上段に構えて言ったが、結局、学者と芸術家は理性と感性を絶えず往還することを宿命づけられているのだろう。思えば、私は酒を飲むことで、理性を鈍麻させる替わりに感性を鋭敏にしてきたような気がする。酒飲みの自己弁護。

汝の敵を知れ

「汝自身を知れ」哲学者 ソクラテスの格言だが、経験を思想にまで錬磨していくと分かるもう一つのことがある。それは「汝の敵を知れ」である。プラトンからニーチェ、マルクス、アレントに至るまで、哲学と哲学者の歴史はその敵を見出し、打倒することであった。勝敗はいつも決まっていた。俗人は勝利し、哲学者は発狂ないし憤死した。しかし、それでも哲学者は考えることを止めなかった。その点、哲学は権力の意志そのものであることは正しい。

私の敵——それは市民社会とそこに住む市民である。彼等は私を苦しめ私を助けた。ゆえに私は彼等に対し愛憎という二律背反の感情を抱いてきた。私が『山谷の基督社会』を書く理由は、そこにローマの市民権を剥奪され、迫害されてきた原始キリスト教徒の姿を見るからである。本来、キリスト教徒は市民ではない。皇帝カエサルが支配する地の国に生きる市民を尻目に、彼等は救主キリストが支配する神の国を目指した。そのために彼等はキリスト教徒の社会、すなわち教会を作った。

ちょっと過激なことを書いてしまった気がするが、これぐらい意識を先鋭化させなければ物書きとして大成できないと思う。ボンヤリ生きていたら、時代と世間に流されてしまう。書くことは戦うことだ。書いていると元気になるのはこのためである。


  1. 指摘、という鋭いものではなく、もともと自覚していたことを言語化した感じである。有意義な反省の過程であった。

明朗なる絶望

飛べない君は歩いていこう
絶望と出会えたら手をつなごう1

夕食後、ひと眠りしたら気分が良くなった。洗濯をした後に読書を少々。それからPCに向かう。

ライターないしWEBライターの正社員としての転職を考えているが、正直85%は無理だと思う。15%の希望のぞみはあるではないか、と思われるが、無理だった時のことをちゃんと考えなければならない。

私の悲観的観測には理由がある。

経歴の断絶

私のメディア人、出版人としての経歴キャリアは、出版社の派遣社員の事務員を最後に2017年で終わっている。その後3年間の介護職員としての毎日は爪を研ぐ、雌伏の日々だったかもしれないが、出版人としての私は死んだも同然だった。それが悔しくて、2019年にはブログを始めて、2022年には個人事業主のライターとして開業したが、未だに私は出版業界に戻れずにいる。忸怩たる思いである。

ビジネス向きではない

読者諸氏はご存じのように、このブログは病気と政治と宗教に満ちている。自分で言うのもなんだが、ぜんぜん健全ではない。市民的でもない。善良で快活で節度を弁えている市民は普通こんな文章は書かないのだ。別に公安に目を付けられている訳でもないが、世間は受け入れがたいと思う。いわんやビジネスをや。こういう鋭った人々エッジピープルの見解は学問文芸まで昇華しなければ容れられることはまずない。その意味で日本の文壇はアブノーマルな心性が支配しているという、伊藤整の指摘は正しかった。

そうなると、やるべきことはおのずと決まってくるが、経済生活、職業生活について思いを馳せていると、武者震いがしてくるので、今夜は酒を飲むことにする。いい白ワインが冷えているんだ。


  1. BUMP OF CHICKEN「Stage of the ground」。

酒徒と学徒

南海先生、性酷だ酒を嗜み、また酷だ政事を論ずることを好む。

『三酔人経綸問答』の作者、中江兆民はアルコール中毒を理由に国会議員を辞めたが、彼は晩年、喉頭癌に侵されるまで、終生、酒を飲み、政治を論じることを止めなかった。彼の職業は文人。政治学者ではない。——私の中に彼と同じ血、同じDNAが脈々と受け継がれているのを感じる。

いま、こうして原稿を書いている時でも、私はワインをちびちびっているのだが、近頃ではお茶を飲んでも、珈琲を飲んでも、いまいち元気になれない。だから酒に頼ることになるのだが、この気分の落ち込み様は内因性ではなく外因性ではないかと思える。要するに気鬱のせいではなく、酒毒のせいではないかと思うのだが、すると、私も中江兆民と同じ轍を踏むのかもしれない。歴史の中に己と似た人物を見つけると、旧友と再会したような懐かしさを覚えるが、その壮絶な運命を知ると慄然たる気持になる。

民主主義の涵養にはコーヒーハウスが主導的な役割を果たすのに対し、ビヤホールといえばナチスの溜場たまりばの印象がある。政治と珈琲の関係については先行研究がたくさんあるのだが、政治と酒の関係については管見にして知らない。キリストの最後の晩餐を待つまでもなく、宗教的秘義に酒は不可欠なくてはならないものであったが、政治はどうだったのだろう? おそらく古代の祭政一致の政事まつりごとでは御神酒は欠かせなかったが、のちにキリストは使徒たちに「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に返せ」と教えた。以後、政治と宗教は分裂し、それぞれ別々の道を歩み始めた。キリストの死と復活はそのメルクマールだったのである1


  1. しかして、キリスト教は古代宗教ではない。

力と愛の社会学

学生の頃は政治学を専攻していたので、権力とその最大の機関である国家については自ずと勉強していた。しかし、学校を出て、労働者1として、その日稼いだパンをそのまま口に運ぶような生活を続けていると、国家よりもむしろ、それが統治する社会の方に鋭く関心が向き始めてきた。特に文士ライターとして文章を書くことを志すようになってからは、社会とそこに生きる人達を書くことが自身の使命なすべきことのように思えてきた。人間を書くには文学が必要なように、社会を書くためには社会学が必要だ。人は歳を重ねることで、社会(世間)に対し、漠然たるイメージを抱き、それを若者に話したくなる衝動に駆られるけれど、社会の本当の姿、その本質については、そのような床屋談義、酒場談義で開明できるものではない。ドイツ語のBegriffは「概念」であると同時に「理解」するという意味であるが、そのレベルまで昇華しなければならない。

とは言うものの、私は社会学に不案内である。それは私の場合「社会を知らない」ことを意味する。今後、私が社会学を理解する仕方は、政治学を経由した社会学、文学を経由した社会学になるだろう。その際の鍵となる概念は、権力ちから恩寵あいである。これは私の人生の主題テーマと言っても過言ではない。結局、私は政治学と文学の魅力(魔力)から逃れられないのである。


  1. 社会人という言葉より、労働者という言葉の方が事態を表すのに正確なように思える。

トマス・ホッブズと碇シンジ

職務経歴書を見返していると、その頃、自分が何に苦しんでいたのかをまざまざと思い出す。トラウマは人間の苦痛や苦悩、あるいは恐怖が痼疾となって、現存在そのひとの思考と行動の障害になることであるが、してみると、人間は嬉しいこと、楽しいことよりも、辛いこと、苦しいことの方が、無意識のレベルで覚えているのではないだろうか。一見、快楽に引き寄せられているように見えても、実際は、苦痛と恐怖を回避しているに過ぎない。ホッブズは恐怖は人間の最大の情念であり、それを避けるために共通善コモンウェルス(共同体)を建設すると主張したことは今では正しいと思える。それはネガティブな動機に見えるが、地上に生きる人間が自由を手に入れるための堂々たる方法なのだ。「嫌なことから逃げ出して何が悪いんだよ」碇シンジも言っているではないか。