「兼子くん、うちの学生に何か話してみてよ」と、先生に言われたので、政治学、文学などの文献を当たってみたけど、90分間話し続けるほどの分量に纏める自信がない。居直って短歌を書いたが、韻文では講義からはますます遠くなるばかりである。
先生は横浜市野毛に住んでいて、30分くらい歩くと、ドヤ街で有名な寿町がある。先生はそこで本業のかたわら、移民、難民の支援活動をしている。先生は酒屋の角打ちで私と酒を飲みながら、寿町についていろいろなことを教えてくれた。先生のゼミの学生はドヤ1で寝泊りすることが習わしになっているらしい。
寿町を知るための一冊として、まっさきに浮かんだのは、山田清機『寿町のひとびと』(朝日新聞出版、2020年)である。頁を開くと、エピグラフに次の一首が引かれていた。
哀しきは寿町と言ふ地名長者町さへ隣にはあり
すぐにピンときた。ホームレスの歌人 公田耕一の歌だ。彼の歌人としての軌跡は、三山喬『ホームレス歌人のいた冬』(文藝春秋、2013年)に収められているが、私は出版社に勤めていた頃、隣のお姉さんに勧められ、譲って貰ったが、書架に収めたままになっていた。
私は先の二冊を鞄に入れると、書斎を、下宿を出て、クロスバイクに乗った。金町駅を起点にして、南千住駅まで行くのだ。
「寿町については、ノンフィクション・ライターの二氏の他に、政治社会学者の先生も研究している。東京の下町に住んでいる私は山谷に行こう」
私がフリーライターとして初めて取材に出た日のことである。頼りになる理論など持ち合わせていない。そもそも何について書きたいのか自分でも分からない。しかし、自身の五官で直接見、聞き、嗅ぎ、口にし、触れたものを書いてみたい。そのような感覚から、理論が、思想が、哲学が浮かび上がってくるのではないか。
ようやく、らしくなってきた。
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日雇労働者むけの簡易宿泊所。↩