ドヤ街に歌えば 2

ビジネスホテル 紫峰

「うちは1泊だけっていうのは、やっていないんですよ」

私が簡易宿泊所ドヤの門を敲いた瞬間、帳場から発せられた一声である。表には「空室あり」と書かれているにも関わらず、常宿にしている客以外——いわゆる一見様はお断りのように思われた。探訪2回目で、この街は新参者に対して閉ざしているという事実をまざまざと見せつけられた。否、それはむしろ切実な生活の必要に迫られていない、好奇心という私の不実な動機を、この街の人々が責めているのかもしれなかった。

3軒目にしてようやく成約した。屋号は紫峰。「ビジネスホテル」と書かれているが、1泊2250円の破格の料金は他の簡易宿泊所と同等である。帳場は中年の女性の方で、私が帳簿の職業欄に「ライター」と書くと、万事察してくれたらしく、黙って領収書を切ってくれた。前回、立ち飲み屋 みづの家の女将が言っていたように、案外「そういう若者は多い」のかもしれない。和室と洋室を選べるので、私は後者を選択した。帳場の方が鍵を渡してくれたので、『ホームレス歌人のいた冬』を読んで、ドヤに鍵はない、と先入見として理解していた私は拍子抜けしてしまった。知識と理解は大違いである。実際に泊まる。経験してみなければ分からないことはたくさんある。

私の泊まったドヤは、3畳(冷暖房/冷蔵庫/ベッド/テレビ付)の個室だった。簡易宿泊所というよりも木賃宿という印象である。ベッド上方、枕元にはベニヤ製の床頭台があるので、客はそこに料理を並べて、枕元に正坐をしながら食事を摂ることになる。また、ベッド下方、冷蔵庫の上には小型テレビが載せてある。客は上体を起こして、あるいは寝ながらにしてテレビを観ることができる。ドヤの生活がなんとなく想像できる。それは布団と一心同体の生活である。ドヤはまさしく寝るための場所なのだ。ちなみに私が泊まった紫峰は全室禁煙である。ゆえに寝タバコ厳禁である。これには意外な感があるが、防火上の理由が大きいのだろう。

簡易宿泊所(ドヤ)の内部。床頭台で食事を摂る。

テレビは冷蔵庫の上に置いてある。

私がチェックインしたのは午後6時。紫峰には共同浴場が併設され、午後8時まで入ることができるが、近頃の私は風呂に入ることがとみに億劫になっているので、今夜は割愛することにした。私は部屋に鍵を掛け、施錠されていることを慎重に確認すると、山谷の夜にくり出した。