「うちは1泊だけっていうのは、やっていないんですよ」
私が
3軒目にしてようやく成約した。屋号は紫峰。「ビジネスホテル」と書かれているが、1泊2250円の破格の料金は他の簡易宿泊所と同等である。帳場は中年の女性の方で、私が帳簿の職業欄に「ライター」と書くと、万事察してくれたらしく、黙って領収書を切ってくれた。前回、立ち飲み屋 みづの家の女将が言っていたように、案外「そういう若者は多い」のかもしれない。和室と洋室を選べるので、私は後者を選択した。帳場の方が鍵を渡してくれたので、『ホームレス歌人のいた冬』を読んで、ドヤに鍵はない、と先入見として理解していた私は拍子抜けしてしまった。知識と理解は大違いである。実際に泊まる。経験してみなければ分からないことはたくさんある。
私の泊まったドヤは、3畳(冷暖房/冷蔵庫/ベッド/テレビ付)の個室だった。簡易宿泊所というよりも木賃宿という印象である。ベッド上方、枕元にはベニヤ製の床頭台があるので、客はそこに料理を並べて、枕元に正坐をしながら食事を摂ることになる。また、ベッド下方、冷蔵庫の上には小型テレビが載せてある。客は上体を起こして、あるいは寝ながらにしてテレビを観ることができる。ドヤの生活がなんとなく想像できる。それは布団と一心同体の生活である。ドヤはまさしく寝るための場所なのだ。ちなみに私が泊まった紫峰は全室禁煙である。ゆえに寝タバコ厳禁である。これには意外な感があるが、防火上の理由が大きいのだろう。
私がチェックインしたのは午後6時。紫峰には共同浴場が併設され、午後8時まで入ることができるが、近頃の私は風呂に入ることがとみに億劫になっているので、今夜は割愛することにした。私は部屋に鍵を掛け、施錠されていることを慎重に確認すると、山谷の夜にくり出した。