天皇制の憂鬱

私は護憲派ではない。日本国憲法の第9条は改正して、自衛隊は戦力として認めるべきだと思うし、そもそも第1条の天皇制は廃止して、日本は共和制に移行すべきだと思っている。

しかし、こんな政治的志向を持つ人間は、現代の日本において容易に受け容れられない。

改憲派だからといって、自公政権を推すつもりは毛頭ないし、野党に投票するのもためらわれる。

そもそもこの国は政党から国民にかけて、一億総天皇主義者、否、むしろ、なんとなく天皇制を擁護しているに過ぎないのであって、思想、イデオロギーとしてハッキリしている訳ではない。

そもそも天皇は、戦前、戦時の主権者としての責任はGHQによっていっさい罷免され、その代わり、A級、B級、C級戦犯が処刑、処罰されることによって、のうのうと生きながらえている。戦後の象徴天皇制は、かつての臣民、現在の国民の人身御供のもとに成り立っている。かつて、政治学者の丸山眞男は『超国家主義の論理と真理』で、日本の政治社会の「無責任の体系」を論じたが、その最たるものは天皇であり、天皇はその象徴である。

戦前の共産党は完全な人民主権を求めて、天皇制打倒を掲げていたのに、戦後、日本社会の日和見に流され、転向して、天皇制を擁護するようになってしまった。

支持政党なし。これが私の現代の日本政治に対するスタンスであり、自然、私の政治参加は政党政治から逸れることになる。私がキリスト教に改宗したり、山谷の炊き出しに参加しているのは、国家主権をめぐる通常の政治参加の道を忌避していることの代償である。