刺激と慰謝

なんとなく気分が晴れない、疲れて何もやる気がしない、そんな時、私はウイスキーを飲む。

酒、煙草、珈琲、茶、——あらゆる嗜好品に私は親和性があるのだが、左記の二者は大人になってから覚えたものである。それは単に二十はたちを越えてからという意味ではなく、歳を重ねるごとに迫り来る困難に立ち向かうために覚えたという意味である。受験勉強と部活動に勤しんでいた少年の頃の私は珈琲と緑茶を嗜んでいたが、当時の私の懸案はその程度のもので解決できたのだろう。もし、高校生の頃に労働アルバイトをしていたら、絶対に煙草を覚えたはずだ。

酒は幼少の頃より父から英才教育を受けていたが、私がみずから進んで酒瓶に手を伸ばしたのは、二十代の半ばに不眠症(その実は躁鬱病)に悩まされてからのことだった。求めよ、さらば与えられん。それ以後、私と酒の蜜月の関係、あるいは危険な関係は今でも続いている。

煙草は出版社の経歴キャリアを挫折した後、三十を過ぎて、老人ホームの介護職員になってから覚えた。危険と緊張に満ちた夜勤は、煙草がもたらす鎮静と興奮がなければ乗り越えることができなかった。午前5時、暁の冷たく澄んだ空気の中で吸う煙草は格別そのものだった。「次、どうぞ」私は同僚にそう言い残して持場に戻った。

料理に小説ノベルがあるように、酒と煙草には挿話エピソードがある。刺激と慰謝に満ちているのだ。