BOOKMAN

TAKASHI KANEKO

もう身売りしない

本日、3月31日付で、私は社会福祉法人を退職した。

出版業界におけるライター、エディターのキャリアを断って、老人ホームの介護職として働いた4年間の感想としては、「もう身売りはしない」のひと言に尽きる。

介護の仕事に入る前、私は深刻な鬱状態にあった。それは宿痾として今も静かに続いているけど、周りのみんなに助けられながら、肉体労働に従事しながら、徐々に寛解していった。否、実際の私の治療の過程はそんなに共同的なものではなくて、荒野で一人、孤独に闘ったのに近かった。だから、私はこの4年間で、孤独感ないし寂寥感を馴致させることができたし、それについて、愚痴、泣言を言うことを拒んできた。

「私を理解した人は一人もいなかった」哲学者 ヘーゲルの最期の言葉である。政治哲学者 ハンナ・アーレントはこれを彼の主観主義ないし観念論哲学、ひいては、近代の知識人の孤独の証左のように解釈したが、私はそんな御託抜きにして、ヘーゲルの気持がよく分かる。私が介護職として働いた4年間は、このような無理解につねに曝されてきた。特に最後の1年間は酷くて、私の方にその責任の一端はあるにしても、ほとんど周縁的な賤民パーリアのような扱いを受けてきた。今回の転職はその不満が積もった結果と言えそうだが、実際は違う。私は知性エスプリの効いた会話、アイディアを交歓し合える同僚をずっと欲していた。出版業界にはそのような人々は幾らか居たが、介護業界には殆ど居なかった1。介護の仕事を通じて、私は多少我慢強くなったかもしれないが、そもそも人生は忍ぶために与えられたのではない。楽しむために在るのである。


  1. ただし、私と友誼を結んだ人が居ない、と言えば嘘になる。