TSUKIJI 2016

「兼子くん、作家と編集者は両立しないからね」

当時、『小説TRIPPER』の池谷真吾編集長は、年末の納会の席で私に釘を刺した。

書籍編集者は苛酷な仕事である。本の売上はもちろん、内容に致命的なミスがあれば責任を問われるし、自身の仕事の領分を潔く弁えてなければならない。作家は書くプロであるが、編集者は書かせるプロである。そこに明確な一線が存在する。なので、優秀な編集者は皆、自我エゴの扱い方を心得ている。出過ぎてはいけないし、控え目になってもいけない。その塩梅が難しいのである。

来年1月の転職に向けて、今、編集の仕事を探している。個人事業主として、文筆は辞めるべきでないし、むしろ続けるべきだが、生きていくためには執筆だけでなく、編集もしなければならなくなった形だ。日々の糧を養うために、書き、そして、編むのだ。先の池谷さんの教えに反してしまうが、それも仕方がないことだと思う。

むしろ、それ以上に大切なことは、これを機に、福祉と介護から完全に足を洗って、出版一本鎗で行くことだ。それが作家になる為の近道だと考えたのである。

まがりなりにも、介護を4年間続けたことは、人の世話をする仕事にも私はそれなりの適正はあったんだと思う。今でもお客さんが私の助力を必要とし、頼りにしてくれる様を見ると、私の心は温かくなる。その経験は私の財産である。

介護士の給料は安いと言われる。税金と保険料で賄われている為であるが、問題はそれ以上に技術革新イノベーションが起こらないことにある。未熟練単純労働が延々と続く……。そこに介護士が困窮する原因がある。

しかし、それ以上に問題なのは、介護に従事していると、文化から切り離されたという感覚が日増しに強くなったことである。私は多分、常人よりも精神が強いと思う。それは執着心に似ている。継続する力である。しかし、神経が脆い。他人のちょっとした無視、暴言に傷ついてしまう。私は孤独に強いが、孤立に弱いのである。

文化は心の秩序であり、それを理解することである。しかし、私は介護に従事していると、だんだん文化から遠くなるのである。世の介護士のほとんどは、無理解と無関心の中に生きている。私はその寂しさに耐えることができなかった。それが私が介護から足を洗う本当の理由である。文章を読むこと、書くこと、編むことは、人々を死に追いやる寂寥と闘うことである。これが私の文学だ。