先日、学芸大学で人と飲んだ後、渋谷を通過したが、駅で擦れ違う若者の数の多さに驚いたことがある。
また、一昨日、大学の先輩と高円寺で飲んだのだが(飲んでばっかりだな…)、やはり、若者の数と、彼等を容れるオシャレな飲食店の数の多さに圧倒された。
東京の西側は、私の住んでいる東京の東端 小岩と、あるいは東京の中心 銀座とここまで違うものかと思い知らされた。嫉妬しない、と言えば嘘になる。私は相変わらず学生気質が抜けないし、ゆえに若者と付き合うのが好きである。それに東京の西側はハイソな文化である。私も所沢に住んだことがあるから分かるが、学問、芸術を尊ぶ文化ないし風習がある。その違いは喫茶の店舗の数として現れる。学者、作家にとって大変居心地の良い環境なのである。
しかし、私はまだ東京の東端に住むべき、『墨東綺譚』の登場人物の一人だと強く感じる。かつて、私は山谷(東浅草)を取材したが、私にとっての山谷、浅草、新橋、そして小岩はまだ終わっていない。墨東は昔から貧しく、そのため文化の程度も高いとは言えない。どちらかというと、猥雑な街である。しかし、大人と年寄が多く住むゆえに、成熟、爛熟し、枯れた趣きがある。浅草、上野に比べると、渋谷、高円寺はまだまだケツが青い。私はこの墨東で、自分の文学を豊かに生長させたい。