BOOKMAN

TAKASHI KANEKO

修行僧

45歳になったら、ジャーナリストを引退して、再びフリーライターに転身したい。世間の、社会の情報を集めて、それを表すことに腐心するのではなくて、書くこと、自分の文章そのものに正面から向き合いたい。己のエゴイズムを見つめる——そのためにより自己中心的になるということだ。

私の存在の本質はあまり社会的にできていない。多分、どこまでも自分本位に生きざるをえない。ならば、それに素直に従って、人生の終末に向かう以外ないではないか。いい歳をしたオッサンがいつまでも修行とか言っているのはみっともないと思われるかもしれないが、それは違う。自分に正直になること、素直になることは、己の本質から離反した経験を含めて、それなりに成熟しなければできない。その年齢が私にとって45歳なのである。つまり、普通の人よりも少し早めに終活をするようなものである。店じまい、ならぬ、人じまい、という感じだろうか。

修行には金と時間が要る。そのためには貯金もしなければならないし、経営にも長じている必要がある。また、体力も要るので、酒と煙草を控えて(ほどほどにして)、今よりも痩せなければならない。敬愛する牧師が自身のことを「キリスト教の修行僧」と言い表していた。私もそれに違いないが、私の場合は「文学の修行僧」に変容しなければならない。