痛風

完全に痛風である。そのために昨日、東京農業大学に取材に行こうとしたが、経堂から歩くのに辛すぎて、断念してしまった。その後、薬局でロキソニンを購入、服用し、なんとか家に帰ったが、このような激痛に度々襲われては、仕事に差支えがある。

今日は幸いミサに出席することができたが、生活習慣そのものを改める必要があると痛感した。クリスチャンならば、禁酒・禁煙、品行方正な生き方をしているのではないか、と思われるかもしれないが、そんなことはない。それはプロテスタントに言えることで、私が所属するアングリカンは酒も煙草もオッケー。離婚もオッケーである。この頃は同性愛もオッケーな雰囲気がある。聖公会(英国国教会)はそれぐらい大らかなのである。ただし、堕胎は特別な事情を除いて、私は認めない。生命いのちに対する敬意は、キリスト者としての最後の堡塁である。

とはいえ、キリスト者が酒池肉林の堕落した生活を送るのは間違いだろう。道徳的な判断は議論が分かれるが、その前に身体が持たない。私の場合、道徳よりも先に健康の問題が生じるのである。今回、痛風に苦しめられたのは、生活習慣を変えよ、という私にとって啓示のごとき意味を持つだろう(ちと、言い過ぎか)。

今年、私は37歳になる。3年後、40歳になるのを機に、私は人生の新たな一歩を踏み出すだろう。それまでせいぜい自分の生命を大事にすることだ。仕事と勉強に励みつつ、しばらくこの世の悦楽たのしみを享受したい。