時の事 時の業

石を擲つに時あり石を斂むるに時あり
懐くに時あり懐くことをせざるに時あり

『傳道之書』

年末の疲労と心労が重なって、鬱になってきた。会社に行き、働いているが、近頃は蒲団で過ごす時間が多い。

躁鬱は私の持病なので、今までの人生、躁も鬱も何度も経験しているが、権力ちからに満ち溢れる躁に比べると、反対に権力を奪われる鬱は惨めで恐ろしい。あれほど社交的で闊達な人間が或る日突然、言葉を詰まらせたり、押し黙ってしまうのである。楽しい人から詰まらない人になる。人格が不意に変わったかのようである。

躁鬱を沈静化させる方法は二つしかない。1つは休養(睡眠)。2つ目は薬物。軽症ならば休養だけでも何とかなるが、やはり、体質(遺伝)と環境に基づく病気なので、薬物を用いた方が治療が早く、予後も良い。凡人は「薬に頼らない方がいい」と気安く言うが、私に言わせれば病気の時は頼れるものに頼った方がいい。人に頼るのは案外難しく、青年期を過ぎて以来、私は特にそれを戒めているので、誰にも迷惑を掛けたくなければ物に頼るべきである。凡人は「物質(薬物)依存だ」と非難するかもしれないが、物に縋ることで、困難な人生を乗り切ることができれば、それでいいではないか。現に私は今もワインを飲みながら、この原稿を書いている。ただし、アルコールは躁鬱病を治療しないので、ちゃんとした気分安定薬あるいは抗精神病薬を飲むべきである。

私が本当にこの病気に罹ったのは25歳の頃であるが、その前兆はすでに少年の頃から見られた。約20年間に亘って、繰り返し躁も鬱も経験しているので、その対処法は分かっている。今は休息の時である。年末年始は教会のミサに参列する以外は、自宅に引き籠って、来年の事業計画を立てたい。