街はふるさと

坂口安吾の小説に『街はふるさと』というものがある。安吾の小説は、文学研究者からは「ファルス小説」と呼ばれている。作品を書くにあたって、ノートを取るなど、あらかじめ入念な準備をするのではなく、衝動、本能、成行、偶然に任せて一気呵成に書くので、そう綽名されているらしい。ことの真偽はともかく、確かに長編小説は少ない。安吾は短編、小品の名手だった。しかし、そのために長編の出来がよくない理由にはならない。安吾の長編も名作ぞろいである。『吹雪物語』『火』『街はふるさと』などは、読者に拭い去りがたい印象を残す。歴史と社会の中で格闘している安吾の理想が感じられるのである。一般に『堕落論』などで知られる坂口安吾は、現実密着型のいわゆる素朴リアリズムの私小説作家のように扱われているが、私が見るところによると、彼は相当の理想主義者だ。明治時代以降、文学では長らく、現実主義(自然主義)と理想主義(構築主義)が対立していたが、安吾はどちらかと言えば後者に属す。いや、現実を冷徹に認めたうえで、なお、理想を抱きしめているのである。世界と人間の悪に知悉した、健全な理想主義である。その意味で、安吾は両者を媒介、総合する作家である。

安吾は『街はふるさと』のあとがきでこんなことを書いている。

「街では、人が出会い、別れる。それゆえ、ふるさとである」

最近、私は都市社会学、都市経済学をかじっているのであるが、このような洞察は文学でなければお目にかかれない。都市に満ちているのは人と物と金だけではない。都市には郷愁が満ちているのだ。人間の感情ないし情緒を掬い取っている。文学の本領である。

私は29歳の時に、埼玉県から東京都に出てきた。それまで所沢市で一人暮らしをしていたが、過保護で均質的な世界から脱出したかった。住民の大半はサラリーマンの中産階級である。それは私の出自でもある。それを私は乗り越えたかった。30歳になる前に、私は自分に限界を感じていたのだ。新しい世界に身を置くことで、自身の輪郭を破壊したかったのだ。

葛飾区に引っ越して4年が過ぎた。とは言っても、小岩駅の近くに住んでいるので、心は葛飾区と江戸川区の両方にある。江戸川、中川、荒川が流れる、野趣に富むこの街を私は愛している。行きつけのカフェ、バー、ラーメン屋がある。図書館は大学を卒業したあとの私の研究の拠点である。あまり身だしなみに気を遣わない方であるが、2ヶ月に1度、床屋に行くと、中国から来た店主の「まいど、ありがとうね」という言葉がやさしい。いま、新型コロナウイルスのせいにして、日本を含め世界中で外国人を差別する向きがあるが、そんな野暮なことをしていては、この街で生きていけないのである。

今後、東京はどのように変貌していくのか。単に、ヒト、モノ、カネが集まるだけで、内容のない、からっぽの街になってしまうのだろうか(最悪の場合、それすらも集まらないかもしれない)。病気と貧困と隣り合わせのこの街を、私は自分の身体からだ精神こころのように見つめていきたい。