小説を一本書いているが、思うように筆が進まない。たぶん、集中力が足りないのである。先日、友達に「考えがとっちらかっている」と指摘されたが、そのとおりだと思う。考えがまとまらないのだ。精神的に障害を抱えていて、薬を飲んでいる以上、体調の良し悪しは確実にある。けれども、潔く諦めるかというと、そうではない。どんなに筆が乗らない原稿でも、仕舞まで書くこと。擱筆すること。一つの作品に厭きたら、二つの作品を同時に書き始めること。仕事に疲れたら勉強すること。この繰り返しである。
『カラマーゾフの兄弟』を10年ぶりに読み返している。大学の教授はこういう世界文学を若い内に読んでおくようにと言う。それは一方で正しく、一方で間違っている。知識と教養を積むのは若者の特権である。しかし、芸術ことに文学においては、大人になって、ある程度の経験を積まなければ分からないことがあるのだ。小説を読むのは、シベリアに流刑になったあとでも、老人ホームにぶち込まれたあとでも遅くない。そう思える読書がある。人間の悪徳と悲惨、そして恍惚を描くにおいて、ドストエフスキーの右に出るものはいない。後日、まとめて感想を記したい。