BOOKMAN

TAKASHI KANEKO

Sachlichkeit

昨夜は実質的な校了日だったので、小岩の菊乃屋でモツ焼きを食べた。生ガツ、揚げ出し豆腐も美味である。

来年の仕事・生活をどうしようかと毎日考える。本業の執筆・編集以外で生活費を稼ぐのはヨクナイと聞くので、企業広報にでも手を染めようかと思うが、そうなると今と変わらない、というか今よりも悪くなるので、この案はいったん見送にしている。広報で身を立てようとする場合、やはり、全神経・労力をそこに注力しないと駄目ではないか。片手間でできる仕事ではない。

やはり、私は書籍・雑誌を純粋に執筆・編集する方が相応しいように思える。来年は余計なこと(邪なこと)を考えずに、文学、小説を書くことに専念した方がいいだろう。そうなると、生活費は自然、アルバイトに頼らざるを得なくなるが、夕方から夜にかけて、酒場で働くのも悪くないと思う。さんざん酒場に通い詰めて、酸いも甘いも経験したので、そこに対する幻想はほとんどないが、それでもやりたいということは、まだ一抹の幻想が残っているのだろう。

文学は本質的には文学以外の経験を糧に成長する。もちろん、文学が文学によって成長する事実があることを私は認める(聖書の御言葉で生きる私はむしろ、その傾向が強いだろう)。しかし、文学は文学以外の現実のひりひりした経験に依拠して書かれる。ただ、その一事において、文学が作りものフィクションではなく、ほんものファクトに肉薄していると主張する根拠になるのではないだろうか。文学は真実を書く。この定義は私のルポライターの気質に左右されないはずだ。

かつて、吉行淳之介は言った。

文学というのは、「物自体」を書くものだと、ぼくはおもう。