人間の業

4月から自分が執筆/編集する新聞を読んでいたら、笑いが込み上げてきた。見出しの色を見ているだけでも、CMYKの4色に分解することができる。新聞はWEBと違って、記事ごとの行数×文字数が決まっているので、そのルールに慣れるまでは大変だが、昔、ミニコミ紙で書いていた経験を思い出せばいい。2018年、私は記者にも編集者にもなれなくて、出版業界を去ったが、今度はそう簡単にやらせない。私は文士として生きていく他ないのだから、愚痴も弱音も吐かない。4年間、肉体労働をさせられた恨みをここで晴らすのだ。そのようなネガティブな感情は善くないと人は言うかもしれないが、復讐と反抗、そして、愛憎なしに書かれた文章と詩句が人の心を打つだろうか。ユダヤ教では「言葉を食べる」という表現があるらしい。この思想はキリスト教にも受け継がれていて、「ことばは肉体となりて我らのうちに宿りたまへり1」と言われる。毒にも薬にもならない言葉を私達は欲していない。「ただ微温ぬるきが故に、我なんぢを口より吐き出ださん2」。私達は今、真に私達を養い、励まし、癒し、そして朗らかにする言葉を欲している。それはAIにはできない。愛し、憎しみながら、生きて死んでゆく、人間のみに許されたわざなのである。


  1. 『ヨハネ傳福音書』1章14節。
  2. 『ヨハネの黙示録』3章16節。