雪と砂

海泡石―歌集 (塔叢書)

海泡石―歌集 (塔叢書)

三井修さんは私の短歌の、文学の先生の一人である。それゆえ、私が彼の作品を評論するにおいて、多少の私情が入り込む余地があると思うが、それも致し方ないことだと思われる。誰かが書いていたが、人が事物を評価することは、畢竟、好きか嫌いか、という感覚の次元に行き着くのだから、公平な評論というのは、社会の多様な価値観をとりあえず認めたうえで、自身の思考/志向を、カール・マンハイム流に言えば、存在の被拘束性を自覚することである。先生や友達の作品を論じるときの文体はどうしても甘くなってしまうが、このオモイヤリも文学の楽しみのひとつだ、と言ってしまっても許されるのではないだろうか。

三井さんは長年、中東で仕事をしておられた。30歳を過ぎて、本格的に作歌活動を開始。現在は短歌結社〈塔〉の会員、選者として、精力的に作品を発表している。また、後輩を育成することにも積極的である。私は三井さんに誘われて、たくさんの歌会、吟行会、出版記念会に足を運んだ。兎角、文学をすることは、書斎で一人、創造の苦しみと喜びに耐えることだと思われるし、実際、そのとおりである。しかし、創造を通じて、自分の狭い部屋を抜け出して、さまざまな場所で、たくさんの人々に会えるのだ。文学が世界を開く。一度、これを経験したらやめられない。ゆえに、文学は単純に経済活動に還元されるべきではない、きわめて道徳的な活動なのである。三井さんの第10歌集『海泡石』は彼の境界ボーダーを踏み越える、多様な活動力から生まれた。

そう、それを一杯下さい新しき光を生みてやまざるソーダ

三井さんとは、よく食べ、よく飲んだ。とりわけワインが多かったように思う。歌会にアラブの珍しい酒も持参してくれた。人が人と交わる時、飲みものが不可欠である。不思議な親和力がある。それを彼は知っているのではないだろうか。

ちちのみの父の形見ぞ飴色のパイプはトルコの海泡石で

人住まぬ家の蔵には赤錆の脇差はあり抜き身のままに

三井さんのふるさとは能登である。この歌集を編む前に、誰も住まなくなった能登の実家を整理した。海泡石のパイプと錆びた脇差はそのときに出てきたのだろう。生家をたたんでも、故人を偲ぶ調度は残る。三井さんは喫煙の習慣はないが、ふと、寂しくなった時、海泡石のパイプに火を付けて、父上のことを思い出しているのではないか、と想像する。

白鳥ら頸を寄せ合うもしかして北帰の「共謀」なすとさるるや

歌会も或いは「共謀」なしいると思われる日のやがて来るべし

夕暮の梢が抱く暗闇に鳥は自ら小さき身を投ぐ

冬枯れの枝を集めて焚きたしと思えどこの街焚火許さず

2017年7月11日、組織犯罪処罰法が改正、施行された。所謂「共謀罪」が成立されたと言われている。本稿は法律の内容に踏み込まないが(それでも、将来、検討する必要に迫られるのではないか)、三井さんは時事的、政治的な歌も詠んでいることを紹介しておきたい。その音程トーンは高くないが、短歌が修辞レトリツクの巧拙に終始するのではなく、つねに世界と自身の問題に呼応する必要性を教えてくれる。現代の日本は、安全、健康、効率を実現するために権力を張り巡らし、人間の、個人の自由を奪っているのではないだろうか。啓蒙が暴走しているのだ。東京の路上では、焚火をすることも、煙草を吸うことも許されなくなった。自由を奪われた東京の文化は没落するのではないだろうか。安全、健康、効率、それ自体からは・・・・・・・文化は生まれないのである。

どのような決意のあるや群れ泳ぐ鴨の中より一羽が離る

試歩の人それに付き添う人ともに秋の静けき楡の下ゆく

雪の降る国出で砂の降る国へ我は行きたりぬるさを厭い

憩う陰なければ鋭き光浴び砂の上にて立ちつくすのみ

三井さんは〈独歩の人〉と言われている。協力者や理解者がたくさんいても、人は新しいことを始める時、いつも一人ぼっちである。その典型は、短歌を書くことである。励ますことも、助けることもできるけど、書くことの責任と結果はその人にかかっている。三井さんと一緒にいることで、私はこの単純な事実を悟った。彼と彼の所属する〈塔〉はその魂を体現しているのである。