BOOKMAN

Takashi Kaneko

日本福音ルーテル東京池袋教会

昨日は母教会の立教学院諸聖徒礼拝堂が、大学入試で休みだったので、後輩と示し合わせて、他教派の教会の主日礼拝に参列した。

目星を付けたのは、日本福音ルーテル東京池袋教会。立教池袋高校・中学の裏手にあり、アクセスが容易であることと、ルーテル教会は神学校の教育などで、聖公会とエキュメニカルな取り組みをしていることが理由だ。

ルーテル教会はその名のとおり、マルティン・ルターの宗教改革を起源に持つ教会であるが、東京池袋教会は、フィンランド福音ルーテル教会の宣教師の働きに起源を持つ。彼らは1907年に千駄ヶ谷で伝道を開始し、その活動は巣鴨を経て池袋に移され、1931年には同地に会堂が建てられた。

実際に主日礼拝に参加してみると、「大栄光の歌」のメロディは聖公会と一緒だし、「キリエ」、「神の子羊」などのシャントを歌うので、聖公会の礼拝のスタイルに近く、戸惑うことが少なかった。ただし、主の祈りは文語だったので、一語、二語、外してしまった。

私は学生の頃から、ドイツの文学・哲学・思想に馴染みがあり、憧れてもいたので、ルーテルは親しみやすい教派だと思う。典礼、牧会の他に、福音の宣教・伝道を重んじる所も魅力的だ(たぶん、この点が聖公会に最も欠けている所だ)。たぶん、私たちアングリカンはルーテルから多くのことを学ぶことができるだろう。

しかし、それでも私が聖公会アングリカン・コミュニオンに留まっているのは、立教大学という私の出自に対する尊重と、カトリックに対する否み難い尊敬があるからだろう。私は礼拝中、あるいは日常生活の中で、然るべき時に十字を切りたいし、秘跡サクラメントはこの世界において、非常に尊いものだと思っている。

「あれか、これか」ではなく、「あれも、これも」。ルーテルの一途に伝道する姿に学びながらも、アングリカンの雑駁だけど、寛容な精神を改めて確認した、雪の日の主日だった。

日本福音ルーテル東京池袋教会