BOOKMAN

TAKASHI KANEKO

ライターとして生きる

早朝3時(深夜と言うべきか)。いっときは伸びた睡眠時間も、この頃はまた短くなっている。また、早起きをするのが苦ではなくなってきた。夜勤を辞めて、ようやく本来の生活リズムに戻ってきたのだと思う。もともと私は早寝早起きの人なのだ。これでも、けっして禁欲している訳ではない。前日の夜に適当に酒を飲んで、気持よくなったら寝てしまう。そして、朝書く。案外、幸福な生活である。

今日は面接。勝負の日だ。もはや、私はライター/エディターとして身を立てることしか考えていない。食える、食えないの問題は二の次だ。私はけっきょく、この職業で働く方が、肩肘張らずに楽に生きられるのだろう。着流しの感覚である。苦しゅうない。この感覚が大切なんだ。

「三十代までに自分の仕事を決めないとまずいですよ」と、職場の上司に言われたのはそのとおりだ。職務経歴書の「職務概要」の記述が一貫していないと、その時点で突っ込まれる。むしろ、恥ずかしく感じる。私は今回の転職で、遂にケアワーカーとして生きるのを拒否して、ライターとして生きる道を選んだのだろう。もう我慢の限界だった。ライターとして生きるのは大変じゃないか、食べて行けるのか、と言われるかもしれないが、そこは仕組みづくりである。今回、転職することで、改めてそれを学びたいと思う。

それに、私はライターをしている方が、神と人に対して恥じることなく生きられるような気がする。これは良心の問題である。ケアワーカーをしていた頃の私は罪にまみれて衰弱していた。しかし、今はどうだろう? 元気である(年度末まで老人ホームとの契約は続くが)。もちろん、ライターという職業も、文学の仕事も、罪を免れることはできない。しかし、罪を償うことは事後に属する問題である。