三ヶ日は銀座に人が少ないはずなのに、昨夜は酒場に人が押し寄せてきて、この店に就職して以来、もっとも勤勉かつ俊敏に働いた。しかし、人間の酒を渇望する心は凄まじい。まさしく鬼相のごときである。渇きを癒やすためならば、大枚を幾らはたいても惜しくはない。しかもそれを家の外でやりたがる。私も外で飲むのは好きだが、そこまでの情熱はない。正月で店が開いてなければ、自宅の書斎で静かに飲るだけだ。冬はホットウイスキーがうまい。
退勤後、総武線の車内でTwitterを見ていたら、アメリカがベネズエラに軍事攻撃をし、大統領夫妻を国外に連行したというポストが流れた。政権与党である自民党以外の政治家、共産党員、知識人などが「侵略」であると続々と非難している。ロシアに続き、こんな蛮行が世界で許されるのだろうか。国連の常任理事国の5ヶ国中2ヶ国が、かつて構築した体制を自ら破壊する暴挙に出ている。
20年前、私が法学部で学生をやっていた頃は、国際政治ないし国際秩序は暴力の少ない、徐々に良い方向にシフトしていく、と明るい展望をもって語られていた。軍事力、経済力によるリアリズムよりも、規範理論に基づく理想主義が国際政治学で幅を効かせていたと思う。あとはポストモダンの差異の政治学か。懐かしい。懐かし過ぎる。学生時代の私たちの頭はお花畑だったのだ。日和見な政治学は一度、死ななければならぬ。罪人の手によって、十字架に挙げられたキリストのように。
遅きに失した感はあるが、政治学者の山口二郎氏が昨年のクリスマス・イブに次のようなツイートをしている。
クリスマスイブの夕食の前に、久しぶりに主の祈りを唱えた。残り時間が少なくなる人生にとって、これは救いだと感じた。望むらくは、世界中の人々が主の祈りを唱えて、争いをやめてほしい。
— 山口二郎 (@260yamaguchi) 2025年12月24日
氏は北海道大学、法政大学で長らく教鞭を執られているが、その中でキリスト教に接する機会があったのだろうか。クリスマス・イブの夕の食卓に主の祈りを唱えておられた。
天におられるわたしたちの父よ
み名が聖とされますように
み国が来ますように
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください
わたしたちの罪をおゆるしください わたしたちも人をゆるします
わたしたちを誘惑におちいらせず 悪からお救いください
国と力と栄光は 永遠にあなたのものです アーメン
政治学者にはキリスト教徒が多い。西洋の古典を紐解く中で、その教えに触れることが多いからだろう。私がキリスト教徒になったのは、政治学の教養と無関係ではない。否、それと密接に結びついている。私は大学/大学院を卒業すると、関心は政治学から文学、神学に移ってしまったが、それでも政治学を捨てたことはなかった。
歳を重ねるにつれ、私が世界と人間の悪を知りながらも、希望を失わなかったのは、政治学とキリスト教のお陰と言っても過言ではない。私は学生時代、社会で役立つ学問はしなかったけれども、政治学で得た教養は、確実に今の私を助けて、悪から救い出しているのである。